メンバーは石原と、『kondaba港』出演のアーティスト髙橋凜さん、時々オンライン参加の金子さんです。
前半に千住にある3つの富士塚と、その合間に解剖人塚とお化け煙突モニュメントを巡りました。
▶︎▶︎▶︎前編はこちら 足立区の富士塚めぐるお正月 vol.1
旧街道の助六寿司
後半は尾竹橋通りから荒川を渡り、そこから東に歩いて五反野方面へ行く予定でしたが、ここで大きく道を間違え逆方向へ。私たちは気が付かぬうちに足立区を出て荒川区を歩いていたのでした。
ちょうど手にしていた地図から外れたエリアだったので気が付かず、地図も見ずに1時間ほどひたすら川沿いに進み、日暮里舎人ライナーが頭上を走る尾久橋通りへ出たところでようやく間違いに気がつきました。東に行くはずが西に進んでいたという(しかも1時間近くも)衝撃の事実にショックを受け、絶望しながら尾久橋をわたって再び足立区へ。島忠ホームズのモスバーガーで休憩して元気を出し、扇大橋を渡ります。五反野方面は諦めて旧日光街道から北上することに決めました。旧道を目指して江北橋通りを東へ東へと必死に進み、1時間ほど歩いたところでようやく旧日光街道まで出ることができました。あまりのうれしさに思わず角の助六寿司でおいなりさんと巻き寿司を購入。そこから北上します。

小右衛門稲荷の平たい富士塚と池
東武伊勢崎線梅島駅を越えて環七の手前で路地に入り、小右衛門稲荷神社に到着、参道を進み社務所をこえたところに富士塚がありました。

ここの富士塚がこれまで見た富士塚と比べてユニークだったのは、まず平べったいこと!合数や登山記念の碑が建てられところどころ溶岩石や丸石が配置されてますが、今までの上に盛り上げていたタイプと様子が違います。

そして隣に池がある!(枯れかけてるけど)はじめ見た時は、富士塚とは関係のない池か?とも思ったのですが、一心講や登山記念と刻まれた石碑が建ち、溶岩石で縁取られています。富士山の麓にある湖を再現しているものなのでしょうか。富士講の開祖である角行という人物は湖で水垢離を行っていたと言われています。
島根鷲神社の富士塚
環七を超えて旧道をさらに北上し西側の路地へ入って少し進んだところに島根鷲神社がありました。本殿を右手に進んでいくと登録無形文化財である「島根囃子」と「島根歌舞伎」の碑が建てられていて、その奥に富士塚がありました。

築造年はわかりませんが昭和63年復元だそうです。頂上に木花開耶姫命と手前に岩永比売命が祀られてますがお社は確かにツルッとして新しめです。
ここで凛さんから「棕櫚(シュロ)が植えられているけど何か関係があるのか」という疑問が。確かに植えられてました、棕櫚。写真撮り忘れちゃいましたが。凛さん曰く正右衛門稲荷でも柳原稲荷でも植えられていて不思議に思っていたとのこと。気づかなかった。
この時オンラインで繋いで中継していた金子さんも私も「いやぁ棕櫚はあるでしょ」とか「その時代の流行りではないか?」とか言っておりましたが後々金子さんが調べてみたところ、棕櫚は神霊の憑代とされて富士山本宮浅間神社の社紋として使われている植物だそう。やはり関係があって植えられているものなのでしょうか。
保木間氷川神社の富士塚
夕闇迫る中急ぎ足で旧道を北上します。増田橋の五叉路を越えてさらに進むと、淵江小学校が見えてきました。私が通っていた小学校です。その手前の路地、流山道と呼ばれる古道に入り、小学校の正門を過ぎるとすぐに保木間氷川神社の入り口です。
富士塚とは少し離れますが、ここは足尾銅山鉱毒事件の被害住民の人たちが押し出し(請願デモ)のためにここまで徒歩でやってきた場所でもあるそうです。田中正造が農民たちを引き留めるために「保木間の誓い」という演説をこの場所にて行ったそうです。改めて地図を眺めて歩いた距離感を見てみると愕然とします。どんな思いで歩いてきて、演説を聞き、帰っていったのか、想像しても計り知れません。

氷川神社の鳥居をくぐり奥へと進み、本殿の左手のさらに奥に富士塚はあります。暗くなってきて焦っていたのでなんと肝心の富士塚の写真は撮り忘れております。
富士塚の前の鳥居には榛名神社とあります。実はもともと明治9年に榛名講の塚として開かれ、後になって富士塚として転用されるようになったとのこと。別の富士塚では元々古墳で地面が盛り上がっているところを利用して富士塚にしているところもあるのだとか。こうした転用の例があるというのも面白い点だなと思いました。
個性豊かな富士塚たち
日も暮れて暗くなってしまったので富士塚巡りはここで終了。
この日は結局少し寄り道しながら6基の富士塚を巡りました。もともと10基巡る予定にしていたので少し残念ではありますが、6基それぞれに個性がありとても満足感はありました。
正面に一つだけ山道があるもの、幾つも登山道があるもの、しっかりとした階段が作られているもの、丸石で作られているもの、ゴツゴツと足元が不安定なもの、平たいもの、高さのあるもの、人穴、御胎内、湖、登る時の臨場感、頂上からの風景など、本当にそれぞれに違っていて、それを祀る講ごとのこだわり、大事にしている部分が少しづつ違うのだろうと思いました。それでいてどれもが登って楽しい。(登れないものもありましたが、ぜひチャンスがあれば登りたいと思わされる)その造形からは、それぞれの富士山に対する思いの強さを感じました。
「ここ」にいながら遠くの場所のことを想像すること、そのことはインターネットやSNSが発達して即時的に情報を受け取れる世の中になったとしても簡単なことではないように思います。耳や目からいくら情報を取り入れても、その場所に住んでいる人がどんなふうに土地や人や物たちと関係性を持って、どんな息遣いで生きているのかを「わかる」ことはとても難しいことです。しかしなまじ情報を知っているとその「難しさ」を忘れてしまうこともあるように思います。
その場所で実際に起きている出来事に対して、その「難しさ」を抱えながら自分ごととして想像しようとし続けるにはどうしたら良いのか。そんなことをよく考えます。
富士塚に向かう人たちがどれだけその「難しさ」を抱えていたかはわからないし、宗教的な儀式でもあったのでそんなことは問題ではなかったかもしれません。ただ儀式として目の前の富士塚に向かうとき、遠くにある富士山のこと、そこに向かって歩いていく人たちのこと、その身体感覚や足元にある地面のこと、そこから見える風景のことなどを、真剣に、自分ごととして想像する時間だったのではないのかなとこれまた想像したのでした。
凜さんと竹ノ塚駅に向かうと、駅前ロータリーのベンチにて助六寿司をつまんで解散。

凜さんのことをあんまり書けてなくて反省ですが、1日一緒に歩きながらいろんなことをお話ししました。独特のリズム感と抜け感の中に時々まなざしの鋭さがあり、改めて面白い方だなと思いました。リサーチ参加ありがとうございました!
クリエーションに関わってもらえること、とても楽しみです。
今回の富士塚巡りリサーチが『kondaba港』の作品にどのように関わってくるのか、はたまた全く関わらないのか。ぜひ会場にてお確かめを!
(直接いれられずとも、思考の一部になっていると信じて!)
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