2004年、横浜市の創造都市構想のリーディング事業として始まったBankART1929は、歴史的建造物や港湾倉庫等を文化芸術活動の拠点として活用し、移転を繰り返しつつも、都市とアートを開く活動を継続してきました。しかし2024年11月に横浜市から発表された、2025年度以降のBankART Stationの場所(新高島駅B1F)の運営者公募にBankART1929は採択されず、来年度から市の補助金が打ち切られることが決定、BankART Station 及びKAIKOは今年度末をもって終了することになりました。 20年にわたる横浜市との関係性を変えざるを得なくなった現在の課題として、3月末までに既に決まっている事業を展開しながら2施設を完全撤収するために荷物の移動先と資金を自前で調達しなければならないこと、同時に来年度以降の活動拠点と経済構造を急ピッチで再構築しなければならない、という差し迫った状況があります。
現在のBankARTはこれまで活動を共にしてくれたアーティストやクリエイター、関係者や観客の皆様方とともにつくってきた運動体です。その蓄積を未来につなぎ、さらに自由に拡がっていくため、芸術活動やまちづくりを大切にしている多くの方々と共に活動継続していくために、初のクラウドファンディングに挑戦します。このピンチをチャンスに変えるべく、ご支援の程よろしくお願い致します。
2025-02-02 18:00
福住廉さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.15
福住 廉(美術評論家/秋田公立美術大学大学院准教授)
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BankART1929は、つねに、すでに、オルタナティヴな現場でした。
朝倉摂や原口典之、柳幸典といった優れた美術家たちの本格的な回顧展を、公立美術館に代わり、成し遂げただけではありません。
たとえば、わたしが長らく講師を務めたBankART Schoolの講座「アートの綴り方」は、美術についての文章を実践的に学ぶ場でした。受講生は述べ200人あまり。大学生もいましたが、彼らの多くは働きながらなお、文章を学ぶ意欲にあふれた社会人で、それぞれ仕事や家事を終えた後、馬車道や新高島の教室に足しげく通ってきたのでした。その熱意と行動力は、講座の終了後に、それぞれの専門性を提供し合いながらフリーペーパー「HAMArt!」を自主的に発行するほど、この講座の中で大きく成長したのです。
おそらく、既存の美術大学やカルチャースクールでは、このような創造的な展開は難しいでしょう。そこでは教員と学生という役割が明確に区別されているうえ、それらのカリキュラムは厳密な時間によって管理されているので、自主的な表現活動をもたらす余白が生じにくいからです。授業は終わったのに、まだ何かやってる──。そのような自由が可能になったのは、BankART1929がオルタナティヴな現場だったからにほかなりません。
行政や企業との距離感は変動するでしょうが、これからもBankART1929はオルタナティヴな現場をつくり続けるはずです。そのためにぜひ、みなさまのお力を!
福住 廉
