2004年、横浜市の創造都市構想のリーディング事業として始まったBankART1929は、歴史的建造物や港湾倉庫等を文化芸術活動の拠点として活用し、移転を繰り返しつつも、都市とアートを開く活動を継続してきました。しかし2024年11月に横浜市から発表された、2025年度以降のBankART Stationの場所(新高島駅B1F)の運営者公募にBankART1929は採択されず、来年度から市の補助金が打ち切られることが決定、BankART Station 及びKAIKOは今年度末をもって終了することになりました。 20年にわたる横浜市との関係性を変えざるを得なくなった現在の課題として、3月末までに既に決まっている事業を展開しながら2施設を完全撤収するために荷物の移動先と資金を自前で調達しなければならないこと、同時に来年度以降の活動拠点と経済構造を急ピッチで再構築しなければならない、という差し迫った状況があります。
現在のBankARTはこれまで活動を共にしてくれたアーティストやクリエイター、関係者や観客の皆様方とともにつくってきた運動体です。その蓄積を未来につなぎ、さらに自由に拡がっていくため、芸術活動やまちづくりを大切にしている多くの方々と共に活動継続していくために、初のクラウドファンディングに挑戦します。このピンチをチャンスに変えるべく、ご支援の程よろしくお願い致します。
2025-02-04 18:00
梶山祐実さんから応援メッセージをいただきました!
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応援メッセージ Vol.18
梶山祐実(横浜市職員)
本文はこちら→
BankARTとの関係が始まったのは、創造都市施策が正式に始まる前の、旧第一銀行と旧富士銀行活用の公募の時で、それから20数年様々な事業を一緒に行ってきたが、やはり自分にとって一番印象的な事業は、池田さんが亡くなる直前に開催した「都市デザイン展」である。これは、BankARTの中でも最大級のコーディネート事業だったのではないだろうか。自分が前に立つわけでは無く、しかしその後ろ盾が無ければ実現不可能というところまで、協力を惜しまない、THE、縁の下力持ち。コーディネートする相手の創造力を高める。これは、コーディネート事業のみならず、北仲BRICK&北仲WHITEや新港村等の事業も含めて、BankARTが創造都市で果たした特出すべき成果だったと思う。
思えばこの20年間、幾度となくピンチを迎え、それをチャンスに変えてきたBankART。今回はその中でも最大のピンチであるとは思うが、これをチャンスに変えられるのがBankARTだと思う。今私が関わる郊外住宅地の再生にも是非手を広げて、多くの人々の創造力を高めて欲しい。次の展開を期待せずにはいられない。
梶山祐実
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