1972年東北初のプロ・オーケストラとして誕生した山形交響楽団
芭蕉も愛した立石寺の石碑にはこう刻まれています。”山の向こうのもう一つの日本”(1988年ライスシャワー駐日大使)。美しい自然と歴史に育まれた山形。「山形は小さな町だが、ヨーロッパのようにオーケストラを創り、子どもたちに音楽のミルクを届ける」創立名誉指揮者 村川千秋の夢・想いが多くの人の心を動かし、1972年、東北初のプロ楽団として誕生した山形交響楽団の活動範囲は全国に広がっています。山形、酒田・鶴岡での定期演奏会のほか、特別演奏会、依頼演奏会、山形県下・東北で毎年3万人の青少年に”感動”を届けるスクールコンサートなど、年間150回の演奏会を開催しています。東京や大阪で開催する「さくらんぼコンサート」や、オンライン配信等を通じて、山形の魅力を世界に向けて発信する活動を行う山響は、”山形と世界を結ぶHub"となる存在を目指しています。
創立名誉指揮者 村川千秋が生涯貫いた想い
~「子どもたちに本物の音楽を届けたい」~
山形交響楽団が創立以来大切に継続してきた「スクールコンサート」は、若き日に東京と地方の地域格差に衝撃を受けた村川千秋が、自身の経験から、感受性豊かな子どものころから良質な生の音楽に触れることの大切さを唱え、「すべての子どもたちに生の音楽の感動を届けたい」と、力を入れて取り組んできました。その情熱は今も受け継がれています。
子どもたちの歓声に包まれるスクールコンサート
これまでに約5500回、延べ300万人以上が体験
目をキラキラさせ、音楽に合わせて楽しそうに体を揺らす子どもたち。「子どもたちにオーケストラのすべての楽器を見せて聴かせてあげたい」その想いをもって、村川が生み育てた山形交響楽団は、創立以来これまでに約5500回、延べ300万人以上の子どもたちに”本物の感動”を届けています。”山形の子どもたちは、山響のスクールコンサートを体験して育つ”村川が創ったこのユニークな文化体験は、舞台芸術が子どもたちの感性を育むという先鞕事例を創ってきました。
寄付金の使い道について
かつては年10万人が鑑賞したスクールコンサートは、現在、急速に進む少子化の中、年間2~3万人に減少しています。たくさんの子どもたちに体験してほしいと、鑑賞料金は20年前の金額をほぼ維持しています。少子化で、収入がかつての1/4に減少する厳しい状況にあるスクールコンサートですが、未来を担う子どもたちにクオリティの高い”生の音楽の感動”を届けるため、その運営・維持に、使わせていただきます。



