
トップ画像は、私がはじめてKhady(キャディ)さんと出会った日の画像です。
2011年、私は22歳でした。
Khadyさんの本を片手に行った、初めてのセネガル。本の最後に書かれているメールアドレスに「あなたの本を読んでセネガルに来ました」とメールを送ると、「ティエスにいるから会いに来てください」とKhadyさん本人からすぐに返信がありました。ティエスに飛んで行って、Khadyさんの自宅を訪問した、それが私とKhadyさんとの最初の出会いでした。
Khadyさんは避難所の建設に全力を注いでいる最中でした。そのときはベルギーで電気を勉強している学生たちがセネガルにインターンにやってきていて、避難所にソーラーパネルを付けるため奮闘していました。(そのソーラーパネルはすぐに壊れてしまいましたが...)

(写真)ベルギーの学生たちを交えて避難所で撮った写真。3カ月セネガルで過ごして私の肌も真っ黒。全身白の服を着ているのがKhadyさんです。
ある日のこんなエピソードがあります。
ベルギーから来ている男子学生の1人、Bo(ボー、写真一番前の左端に座っている学生)は、学生たちの中でも最もキャディさんと仲が良く、KhadyさんもBoには親子のように接していました。
ある夜、私と、Khadyさんと、Boと3人でアイスクリームを買いに行きました。
Khadyさんは、「みんなのために2つの箱アイスを買おうと思うけど、何味のアイスがいいか」と私とBoに聞きました。
私が「バニラ」を指さすと、Khadyさんは満足そうに頷いて、バニラを手にとりました。
そして、Boが「イチゴ」を指さすと、Khadyさんは納得いかない様子で「チョコレート」を手に取ったんです。
私は思わず笑ってしまいました。Khadyさんの中ではどのアイスを買うか決まっていたんだと。
一見突っ込みたくなるような瞬間、それでも私はそんなKhadyさんのことを大好きになりました。Khadyさんは自分の意思がはっきりしていて、だから辛い過去に屈せず、女性への暴力を決して許さず、立ち上がったんだなと。
Khadyさんの強さを実感した思い出として記憶に残っています。

Khadyさんの本を読み、どれだけ辛い過去を生きてきたか知った私は、Khadyさんの想いを形にしたいと2020年から活動を始めました。これまで5年間の間に色んなことがありました。セネガル人と日本人の時間の流れ方の違いに戸惑ったことも沢山あります。日本から私たちはこんなに頑張っているのに、なぜKhadyさんはこんなに呑気なの!?と、いらだちを感じたことも正直あります。
それでも、今なお活動を続けたいと思うのは、Khadyさんを応援したいという気持ちだけでなく、いまや私にとってこの活動は、セネガルの女性たちのため、セネガルで頑張っているスタッフのため、そして何よりセネガルといつまでも繋がっていたい私自身のための活動になっているからだと思っています。

私には、一般社団法人の目指す姿があります。
それは、寄付者の方々が「自分が避難所を運営している」「自分が関わったことで救われている女性たちがいる」と誇りに思える団体にすることです。
一般に寄付は、ただの寄付となってしまい、自分のお金がどう貢献したか分からないことも少なくありません。
私は避難所の運営の裏側を応援してくださる皆さんに見ていただき、何が問題で、何が難しくて、何があれば成功するのかを一緒に考えていける団体にしたいと思っています。(実際、私たちも悩むことだらけで、ぜひ皆様の御力をお借りしたいです...)
いただいたお金が実際に避難所のために使われ、女性の受け入れが始まり、どう貢献できたのかを見える形にしていきたいと思っています。
私一人ではできないことを皆さんとやっていけたら嬉しいです。
これから2か月半のマンスリーファンディングはその夢への第一歩です。
明日からは、一般社団法人で一緒に取り組んでくれているスタッフメンバーを紹介させていただきます。
引き続き、よろしくお願いいたします!
一般社団法人ゲヌ 代表理事 宮村暢子