1.17希望の灯りとは??
一九九五年一月十七日午前五時四十六分
阪神淡路大震災
震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出
… たった一秒先が予知できない人間の限界…
震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ
神戸・三宮の東遊園地に2000年1月17日に建立された「1.17希望の灯り」の碑文には、阪神淡路大震災で奪われたすべての命と、生かされた私たちの思いが凝縮されています。
マグニチュード7.2を記録したあの大地震の時、私たちは、かけがえのない『いのち』を失うと同時に、国籍や宗教、肩書きなどの違いを超えて家族や隣人、地域でお互いに心を結び、助け合いました。電気もガスも水道もない中手をたずさえ、支えあったあの『こころ』は、まさに暗闇を照らす小さな”ともしび”だったのです。
燈されている灯りは、被災10市10町のモニュメントなどを巡って運んだ種火、そして県外被災者・ボランティアによって47都道府県から寄せられた種火を一つにして点灯されたものです。
この灯りは、2001年1月17日から95日間かけて47都道府県69都市に、50人の市民ランナーによって「感謝のメッセージ」と共に届けられました。
震災から26年経った今も、あの時の経験を忘れず伝えていくために、この希望の灯りはずっと灯り続けています。
また、この1.17希望の灯りの輪は全国各地に広がっています。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地では岩手県大槌町、陸前高田市、福島県南相馬市、いわき市、大熊町。2015年の関東・東北豪雨で被害を受けた茨城県常総市。新潟県小千谷市(2004年中越地震)。広島市(2014年広島土砂災害)。海外では、台湾中部で1999年に発生した「9.21大地震」の被災地にも分灯が決まっており、2022年9月にモニュメントが建立される予定です。
ご支援の使い道
皆さらからのご支援は希望の灯りを灯し続け、震災経験を伝えるための以下の活動に使わせていただきます
・希望の灯り清掃活動
・希望の灯り分灯
・銘板追加式典の主催
・阪神淡路大震災1.17のつどい主催
・震災モニュメント交流ウォーク
・はるかのひまわり
・震災語り部・講演
代表挨拶
1月17日を過去を悲しむだけではなく、未来につなげていく日にしたい』
私は10歳の時に阪神淡路大震災を経験し、東日本大震災の発生直後からたすきプロジェクトに参加、HANDSの一員になりました。
一緒に活動をお手伝いさせてもらう中で、『HANDSの社会的重要性』『24年間の地道な活動』『そこに集われている方々の悲しみや思いやり』に触れ、一方で、『活動を支えてきてくれた方々の高齢化、固定化』『活動参加へのハードルの高さ』などの問題点も見えてきました。
阪神淡路大震災の経験を未来につなぎ、生き抜く知恵に変えるためにも、これからのHANDSの活動に3つのキーワードを掲げたいと思います。
『寄り添う』災害に限らず、様々な悲しみや苦しみを抱える方々が語り合える場づくり
『伝える』 阪神淡路大震災の記憶を記録として残し、震災を経験していない若い世代への積極的な継承
『備える』 震災経験を生き残る知恵に変え、今を生きる人たちへ新たな災害に対しての備えとする
今までの活動を支えてきてくれた方々の力を借りながら、そこに若い人たちが気軽に参加し、一緒に活動してくれるような環境づくりの構築を目指します。
私はそんな世代と世代をつなぐかけ橋になれたらなと思います。
NPO法人阪神淡路大震災『1.17希望の灯り』理事長 藤本真一
設立者挨拶
…1995年1月17日午前5時46分に起きた阪神淡路大震災は、
「いつ?どこで?何が起こるかわからない?」という現実を僕たちに突き付けた
…そして、多くの尊い「いのち」が奪われた…
神戸に移り住んで11年目の僕は、友人たちに呼びかけ、
市民ボランティア・ネットワーク「がんばろう!!神戸」というグループを立ち上げ活動をはじめる
目的は、生き残った方々を支えるため
その活動の中で、家族を亡くされた方々と出会う
…絶望し、凍り、時が止まり、暗闇に動くことも出来ない方々…
僕はただ寄り添い涙するだけだった…
「生」を支える活動から、「死」を見つめる活動が始まる
暗闇にいる方々に、せめて小さな灯火でもと、「1.17希望の灯り」を建立する
そして、NPO法人阪神淡路大震災『1.17希望の灯り』を設立
震災だけでなく、事件、事故などで愛するご家族や友人を亡くされた方々と、支え合い、補い合う活動を進めるために
俳優・NPO法人阪神淡路大震災『1.17希望の灯り』設立者 堀内正美