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皆さまの温かいご支援をいただき、目標の130万円を達成しました!レバノンの厳しい寒さの中でもシリア難民、そしてレバノンの子どもたちが暖かい教室の中で学びを続けることができます。灯油の配付を2か月としていましたが、3か月とし、引き続きネクストゴール200万円を目指します!応援よろしくお願いします。
さて、「レバノンの冬」と聞くとどんな状況なのかイメージがしにくいのではないのでしょうか?今日は、現地駐在員よりレバノン、アルサール市の状況をお伝えいたします。
レバノンの語源である「レバン」はフェニキア語で「白い」を意味し、山頂が冠雪したレバノン山に由来します。オスマン帝国時代に、この地方を呼ぶ時に使ったことが国名の由来でもあります。
私たちが支援しているアルイマン学校は標高1500メートルに位置し、冬季は氷点下を下回る日もあるほど極寒の地域にあります。
レバノンは中東レバント地方で唯一砂漠がなく、冬季には標高が高いところでは、一面雪に覆われます。他方、首都ベイルートは12月でも比較的に温暖で、ビーチで海水浴ができる日もあります。現地の人たちは午前中に海水浴に行き、午後はスキーに行くこともできるとよく言います。国土の大きさは岐阜県ほどしかありませんが、地域によって気候が大きく異なります。
活動地であるアルサール市は首都ベイルートから北東へ、レバノン山を超えて車での移動に三時間ほどかかる場所に位置しています。道中では複数のチェックポイントがあり、滞在許可証やIDの提示を時折求められます
アルサール市に到着すると、冷たい寒さが肌に嚙みつきます。学校の宿舎はコンクリート建てで、断熱材などは入っていません。そのため校内は夜間の冷気が日中まで残っており、ストーブをたかないとまるで冷凍庫にいるような気分です。
太陽が出てくると、降り積もった雪が少しずつ解け始めます。そうした中で外を歩くと、雪解け水と土が混ぜ合わさり、靴がドロドロになります。現地の学校の子どもたちが休み時間に外に出て、校舎に帰ってくるときは、先生が靴の泥をよく落とすように言っていたのを思い出します。そんな時「先生、みてみてチョコレート!」と子どもたちが泥をよくチョコレートに例えて冗談を言い合っていました。
「難民」と聞くとどのようなイメージをお持ちでしょうか。貧しい生活や支援が必要な方々というイメージが多いかもしれません。しかし、支援する傍らで学校や教室での日常的な風景を目にする度に、シリア難民そしてレバノンの子どもたちは、私たち日本人と変わらない「普通の人びと」であることが思い出されます。
内戦前は私たちと同じ当たり前の暮らしがあり、今でも避難生活を続けるシリア難民の方から「10年以上も避難生活が続くとは思わなかった。」とよく耳にします。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の報告によると、シリア国民約2000万人の半数以上が国内外に退避する事態となりました。レバノンに滞在するシリア難民の多くは、母国での迫害の恐れや生活環境の荒廃などの様々な理由から、今でも避難生活を続けています。
「内戦で人生を失った」
難民キャンプで聞いたこの言葉が、今でも心に残っています。内戦で失ったもの、それは家や財産だけでなく家族そして未来も彼らから奪われました。しかし今、世界の関心はウクライナやガザへ移り、シリア難民に対する関心は急激に薄れつつあり、国連からの支援も縮小されつつあります。
そんな中、次世代を担う子どもたちへの教育が今後の未来への希望をつないでいくのではないでしょうか。今後もご支援をよろしくお願いいたします。