◎海外インターンからの入職、そして海外駐在へ
寺西 久々の日本は如何ですか。
浅木 約3年の駐在を終えて7月末に戻りましたが、日本はラオスより暑くてびっくりしています。
寺西 あらためて、そもそもNGOに参加した経緯は。
浅木 私がシャンティ国際ボランティア会(以下、シャンティ)にかかわったきっかけは、学生時代のインターンです。タイにあるミャンマー(ビルマ)難民キャンプで1年間のインターンをしました。その後、入職してアフガニスタン、ミャンマーの事業に関わり、ラオス事務所の調整員をつとめました。
寺西 ラオスでのことを教えてください。
浅木 活動地は、北部のルアンパバーンです。世界遺産に認定されていて観光地として有名な都市ですが、そこから2-30分も行くと未舗装道路が続く山々が連なる地域で、ラオスの中でも少数民族が多く暮らす地域です。
シャンティはラオスでの活動が長いのですが、ルアンパバーンに事務所を移したのが2014年。もともとは首都ビエンチャンから南部での活動がメインだったのですが、少数民族に焦点を当てていこうと北部のルアンパバーンに事務所を移しました。少数民族が多いと母語が違うので言語の壁があり、また山間部でアクセスが悪いために教員があまり配置されていないなど、教育に関する課題が多い地域といえます。
ラオスは教育法で学習言語はラオス語と決まっているんです。少数民族の子どもには、小学校にあがって初めて生活言語とは違うラオス語で勉強することになる子どもがたくさんいます。それが学習達成度がのびない壁のひとつだったと思います。
シャンティは文化も大事にしてきているので、単に「ラオス語を勉強しましょう」となると、彼らのアイデンティティや民族の文化や多様性に影響することが懸念のひとつでした。なので、ラオス語に楽しく触れる機会を増やそうと、絵本を通じての教育活動というシャンティの得意分野を生かして、ラオス語の絵本や図書室を整備をして、学習達成度もあがる環境をつくっていこうとしています。
寺西 ラオス赴任にあたって、何に挑戦しようと思っていましたか。
浅木 少数民族支援の舵切りにとても関心があったのですが、パンデミックで一年先送りになり、その間に保健衛生の活動をしました。シャンティは文化活動は得意ですが、学校で水衛生、保健衛生の啓発をするのは、けっこうチャレンジングだったと思います。
コロナの初期は、検査が追いつかないとか、検査結果がでるのに数日かかる状況だったので、学校も一時閉鎖したものの、手洗い場があれば再開していいといった状況でした。保健衛生の事業では、手洗い場とトイレの設置とあわせて手洗い教室、衛生教室を実施したのですが、事前調査をしたところ、住民を含めて対象者の30%が3ヶ月に1回か2回の下痢を経験していたことがわかりました。つまりパンデミック以前から問題があったことがわかったんです。
教育事業をしていると1、2年で結果が見えることはないのですが、手洗いはすぐに結果が出て、実施後に同じ調査をしたところ、下痢の罹患率が11%も減っていてスタッフとも驚きました。いろいろな病気の感染予防につながりました。
寺西 日本人スタッフとしてどんな立ち位置で関わりましたか。
浅木 彼らをサポートすると同時に見守る、何でも相談できる人でありたいと思っていました。スタッフ育成の立ち位置をずっと模索していました。
現場ではやはり、外国人のNGO職員として見られていると実感する場が多かったです。何々が欲しいと言われるのも、浅木個人にではなく、NGO職員に対する言葉なんだろうなと。現地の文化を理解しながらもギャップを感じ、もやもやすることはあったりしましたね。
そうした苦労がありつつも、一緒に何かやり遂げたという達成感を、現地スタッフや時には受益者の方と味わえたことは喜びにつながりました。たとえば、絵本を大好きになった子どもが、郡の中で優秀生に選ばれたんです。先生たちも嬉しそうだし子どもたちも笑顔だし、そういうのをみるとNGOをやってきた甲斐があるなと思いました。少数民族が多くて先生たちも苦労していた学校でしたが、お勉強をするというよりもラオス語に触れることが増えたことで、先生も生徒の変化を感じていたと思います。
◎緊急支援も現地職員を励ましながら進めたい
寺西 東京での新しいお仕事、緊急人道支援課について教えてください。
浅木 5人のチームで動いています。アフガニスタンやミャンマーのように事務所があるところでの緊急人道支援もあるので、他の課と一緒に連携しながら活動しています。
私が引き継いでいるのは、ウクライナからポーランドに逃れた難民対応の事業です。もともと難民支援がきっかけでこの業界に入ったので、より関心に近いところに異動できたかなと思います。
実は昨年もラオスからポーランドにヘルプで入りました。30度を超える東南アジアから氷点下10度を下回るポーランドに行って、物資配付のモニタリングをして。そこからの教訓をもとに、新しい事業の立ち上げを任せてもらいました。
特に難民の方は最初大都市にくるのですが、物価高から地方に散らばるケースが多く、小さな自治体と協力して文化センターのような場所、社会統合センターを設立して憩いの場を作っていきました。対象者は、紛争地帯から逃れてきた方もいますし、紛争の影響でライフラインが途切れたことからポーランドに来ている人、親戚を頼るケース、ドイツやチェコに行く方など、けっこうバラバラだった印象があります。
現在のプロジェクトは、現地スタッフと、これまで一緒に活動してきた現地の団体と協力しながら進めています。建設といっても既存の建物の改修なので、地元の工務店さんともやりとりして、こういうデザインはどうだ、あのデザインはどうだと話ながら進めています。
ウクライナ難民支援としてアートセラピーを行う現地団体とともに
寺西 その他の活動地はいかがですか。
浅木 アフガニスタンは、テロ攻撃が減り治安がよくなっていると聞いてはいます。ただその中で女子教育が継続できないとか、仕事が得られないとか、生活に直結する課題がまだまだ残っていると思うと、直接的なリスクは減っていても彼らの抱える負担やストレスは計り知れないと思います。
粛々と進めるしかないんですが、チームのメンバーとは、これまで積み上げてきたたくさんの活動をいかに活かして続けていくのか、現地職員を励ましながらやっていこうという話はします。
寺西 東京では「チーフ」になりましたね。どんな仲間と働いていますか。
浅木 昔は東京事務所で一番若かったのが、今や中堅の扱いを受けています。
一緒に働いているのは、社会課題に関心があってその解決をモチベーションとし、どこかの国、現地に寄り添える人たちだと感じます。コロナ禍で、本当は行きたいけれど行けない時は踏ん張り時だったと思います。新卒の方もいれば、民間の経験を経て入職される人もいるので、私も学ぶことが多いです。
寺西 3年前の授賞時と比べて、経験を積めたと思うところは。
浅木 端的にいうと異文化の中での自己認識が深まったと思っています。ラオスの現場赴任までは東京から遠隔で事業運営に携わっていたので、良くも悪くも張り切って赴任したこともあって、思い通りにいかず未熟さを感じることがありました。現地の習慣や文化に馴染み理解を深める一方で、自分が異文化の中でどういうふうに見られているかに敏感になり、時にはそのギャップに苦しみました。自分の言葉や行動がどういう影響を与えるのか意識せざるを得なかったことが多かったです。
一外国人、一NGO職員として、課題に対する解決策を提供しないといけないという役割を背負い過ぎて、こうしたらいいじゃない、ああしたらいいじゃないといろいろな提案を出すと「あなたは日本人だからね」と言われたり、「何々が欲しいんだけど」という直接的な要求をされる。こちらの「一緒になしとげていきましょう」というモチベーションが伝わらなくて、対等な関係を築く難しさがありました。でも、現地で仕事の範囲を超えて友だちもできましたし、仕事の延長線上で距離が近くなったスタッフや関係者もいました。
◎新人賞はNGOの使命や価値観を伝える機会
寺西 新人賞に話を戻しますが、NGOのここに注目してほしいと思うところはどこですか。
浅木 NGOは、現場に近いところで人々の生活を豊かにすることに意義があると思っています。資源の限界があるなかで頑張っている人、文化的な違いがあってもコミュニティとの信頼を築きながら一緒に乗りこえようとしている人に焦点を当てていただけたらと思っています。
私は新人賞を受賞したことをきっかけに「頑張っているんだね」と声をかけてもらったり、現地のスタッフがお祝いのビデオを作ってくれて、自分のことのようにすごく喜んでくれたことが励みになりました。
受賞はNGOの使命感や価値観を広く伝える重要な機会だと思いますし、周りの人に励みを与えていると思っています。NGO業界を盛り上げる、仕事全体への関心がより高まることに期待しています。
寺西 どんな人に新人賞をあげたいですか。
浅木 現場の文化やニーズを尊重しながら事業を進める人、それを応援してくれる人と繋ぐことができるNGO職員に応募して欲しいです。最前線で働く現場のスタッフに、日本でもお会いできるのを楽しみにしています。
金額3,000円 |
金額5,000円 |
金額10,000円 |
金額50,000円 |
金額100,000円 |
金額3,000円 |
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