◎故郷での幼少時代、そして首都カトマンズへ
井上 まずは、ご自身の紹介をお願いします。
ダハル ネパール出身で、「シャプラニール=市民による海外協力の会」で働いている、スディプ・ダハルと申します。いまシャプラニールは、ネパール・バングラデシュ・日本の3つの地域で、主に児童労働と防災活動など、地域で取り残されている課題に取り組んでいます。団体設立から53年目となりますが、日本国内では2021年より活動を始めています。日本と海外の人たちが安心して過ごせるような多文化共生の街を作ることをテーマにしています。その活動のためにお金を集める役割を担っているのが私です。
井上 ダハルさんのお生まれについてお聞きしたいのですが。
ダハル 1990年にネパールのシンドゥ・パルチョークという場所で生まれました。首都カトマンズからおよそ80kmのところです。そこのトパルカという地域の出身です。2015年にネパールで起きた震災のときに被害が一番大きかった地域です。80kmというと、日本なら毎日通勤されている方もいらっしゃるかもしれないですが、ネパールは山道が多く、移動には1日近くかかります。
井上 農業が盛んな地域ですか?
ダハル 農業が盛んというより、他にやることがないという感じです。農業も販売目的ではなく、自分たちで作って自分たちで食べるという自給自足の生活を送っています。農産物の販売を行う農家はなく、農産物を運ぶ手段もなかったのが私の子どもの頃の状況です。
井上 ご家族は大人数ですか?
ダハル 家族は5人兄弟です。ネパールでは10月にダサインという大きなお祭りがあって、親戚も集まってお祝いします。私は末っ子なのでけっこう自由でした。あまり親の言うことを聞かず、いろんなところに遊ぶに行ったりしてよく転んで怪我して帰るということを繰り返していました。
井上 趣味や特技は?
ダハル いま振り返ってみると、子どもの頃は趣味を考える余裕はなかったと思います。両親の農作業の手伝い、野生動物の餌やり、水運びなどをしながら学校に通うことが当たり前でした。当時は「何でこんなことをやらないといけないのか?」と思ったこともなかったです。家族から与えられた作業を早めに終わらせて近所の友達と遊ぶのが好きでした。田舎で生まれ育ったためか、首都カトマンズに移動してから自然が好きになりました。
井上 いつからカトマンズに移ったのですか? 成績も優秀だったのでは。
ダハル ネパールの教育制度では、日本でいう中学校までは全国で学べるのですが、私は家から近いところで通いました(と言っても、歩いて1時間10分くらい)。SLCという全国的な試験があって、それを受けて中学校を卒業してからカトマンズに行きました。小学校は人も少ないので成績は1番でしたが、中学校では一気に成績が落ちてしまって(笑)。勉強はしないけど合格はするというタイプでした(笑)。
井上 大学ではどんなことを勉強されたんですか?
ダハル ネパールの大学では農業開発をメインに勉強しました。農村開発というと日本では工学部系の感じですが、ネパールでは社会学として農村経済などを学びました。カトマンズに移ってみて、自分の田舎とカトマンズではなぜこんなにも差があるのだろうと感じたことが、海外で学んで働いて、将来は自分の村の開発に貢献したいという動機につながっていると思います。
NGOなのに「援助しない」という価値観に共感
井上 日本との接点は?
ダハル 大学を卒業した時に、ネパールでは公務員とかになれば普通に生活はできますが、何かにチャレンジできないのはつまらない。チャレンジできるなら海外留学しようと思いました。でも日本は最初、選択肢に入っていませんでした。イギリスかオーストラリアへ行くことを考えていましたが、家もそんなに裕福ではないので留学費用を払えそうにない。そんな時に、日本ならアルバイトもできて生活費を稼ぎながら勉強もできると聞いて、最終的に日本を選びました。
井上 その当時の日本に関する情報や日本に対するイメージは?
ダハル 私の通っていた中学に、日本の大学サークルだと思いますが、学校の外壁に色塗りする活動で来たことがあって、日本人は優しいなというイメージを子どもの頃から持っていました。
また、2011年の東日本大震災の時には募金を集めたこともあります。みんなが1ルピー、2ルピーと寄せてくれて、ネパールでは大きな金額となる3千円くらいが集まって現地で赤十字を通して寄付した経験があります。そこから日本に対する関わりが深くなったと思います。
NGO活動もしていたネパールの大学時代
井上 日本では宇都宮大学に入られましたが、そのきっかけは?
ダハル 日本の大学は「東京大学」しか知らなかったんです。日本語学校で「東京大学に行って学びます」と言ったら、日本語学校の先生たちに「無理だよ」って笑われて。レベルが高すぎると思ってあきらめました(笑)。
栃木県宇都宮市の日本語学校で学んだのですが、住んでいるところから10分くらいのところに宇都宮大学があって、そこが自分のイメージしていた海外の大学そのものだったんです。あまり建物が高くなくて、自然が豊かで、道がきれいで。国際学部があって国際交流という専攻もあったので、試験を受けて入学することができました。
井上 日本の大学院の修士論文は「ネパールの農村開発における住民団体の役割」で、学んだことをネパールで活かしたいと思っていたと思いますが、そのあと日本の企業で働くことになった経緯は?
ダハル ずっとNGOで働きたいと思っていましたが、日本のNGOは新卒採用しないことも知っていて、それなら社会経験を積んでからと思って日本企業を選びました。5年も日本で暮らしたので別の国にも行ってみたいと思い、海外にも支店を持っている企業を選びました。3年以内に海外へ異動する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で海外赴任がストップしてしまいました。いつ行けるか分からない中でこのままでいいのかなと思った時に、シャプラニールの募集を見つけたんです。日本の大学院でネパールの農村開発を研究する中で、シャプラニールのパートナー型支援も詳しく研究してその活動を理解していました。また、シャプラニールの価値観である「援助しない」とか「自らの解決を促す」ということにはものすごく共感を覚えていました。ダメもとで応募しましたが、運よく採用されました。
日本は「助けを求めない」人が多い?!
井上 シャプラニールに入職されてからの担当は?
ダハル 最初からファンドレイジングを担当しています。物品寄付「ステナイ生活」に2年半ほど関わっています。具体的な支援活動にはまだ関わっていなくて、日本国内の寄付集めに集中しています。また、企業・団体連携事業やネパール・バングラデシュの文化紹介などの業務が多いです。
井上 日本の寄付文化についてどのように感じていますか?
ダハル 日本は欧米に比較して寄付文化があまりないと批判されることが多いですね。その理由としては日本社会では「助けを求めない」人が多いと個人的には思っています。「助けを求めない、自分で解決する」文化が寄付に影響しているのではと思います。もう一つの理由として公共機関が充実していることだと思います。何か困ったときに、すぐに頼りにできる行政があるから「自ら何かをする必要がない」と思ってしまうことが寄付に影響しているのではと思います。とはいえ、今こそみんなで力合わせる必要があるという時、東日本大震災やコロナ禍のパンデミックでは寄付がたくさん集まったように、一時的に皆で力をあわせる必要があると思った時の寄付の多さを見ると寄付文化がないとも言えません。でも、「継続的に自らが」というのは欧米などに比べると少ないのかもしれません。
井上 ネパールでもNGOをされていたということですが、日本のNGOで感じる特徴とは?
ダハル 他のNGOに関わっていないので比較は余りできないのですが、ネパールと比べて日本の場合は様々な経験を積んでからNGOに就職する方が多いと思います。スタッフそれぞれに、いろんな背景や様々な地域や業務の経験をしてきた方々が集まっているのが特徴だと思います。
井上 NGOで働くことの意味をどう考えますか?
ダハル 日本ではNGOで働くというと「社会貢献している」と評価されることが多いと思います。自分も支援者の目線で考えた場合、寄付したものが管理費に使われるというのはあまり良い気分ではないけれど、NGOスタッフも安定的に生活を送れないと業務効率もあがらない。だから支援者の想いも尊重しながら、スタッフの安定した収入も必要だと思います。そこはバランスが大事ですね。
新人賞の受賞で、自信を持って仕事に取り組めるように
井上 ダハルさんは入職1年未満で新人賞を受賞されましたが、何か変わったところはありますか?
ダハル 入職8ヶ月でNGO新人賞をもらえたことは、何かをしたからでなく、将来何かできると期待されていると受け止めました。賞をもらったことは、自分にとって自信になりました。
シャプラニールで人材を募集していると聞いた時、日本のNGOのことは全然知らないし、社会課題についてもそこまでの知識はなくて、日本とネパール以外で学んだこともなかったので、NGOで活動していけるかと迷いながら応募しました。採用が決まった時もうまくできるかなと不安でした。前の職場でもそうでしたが、日本人ばかりの中に外国人が一人で働けるのかなという不安もありました。
でも職場の人に評価してもらい、職場の皆さんからお祝いの動画ももらえた。周りから「できているよ」と言ってもらえたり、サポートされていることがわかって、不安はなくなりました。また、新人賞受賞者の中で初めての外国人ということで在日ネパール人からも好評をいただきました。これから日本で頑張っている外国人の自信にもつながったらと思います。
職場スタッフとネパールの「モモ」を楽しむパーティ
井上 将来ネパールでどんなことをしたいと考えていますか?
ダハル 今までは教育の課題を解決したいと思っていましたが、この10年だけでも現地の変化が激しく、活動のニーズも変わってきていると感じています。だから、いまは限定せずに自分ができることを探してからと思っています。将来どのような課題が出てくるのかを想像しながら視野を広げて行きたいと思います。
井上 日本のNGOにとって課題と考えていることは?
ダハル 新しい課題ではないと思いますが、資金調達と人材確保で困っている団体が少なくないと思います。日本でも数年前から国内課題が増えてきて、支援者の皆さんも自分の周りの目に見える課題を解決することを優先して考えることが多くなっています。
でも、子どもの権利のような国際的な課題には目を向けて支えてほしいと思います。そのためには現地の情報を正確に伝えることが大事だと思います。動画やSNSでも現地の生の情報を見られるようになっていますので、共感を持ってもらうことが大切だと思います。
井上 最後に、今後のNGO新人賞に対する期待があればメッセージをお願いします。
ダハル どんな現場でも新人を育てることは大変だと思いますし、新人は慣れるまでに大変なことが多いと思うので、自分が新人だったときのことを思い出して、後に続く人がやりやすいように支えていただけたらと思います。NGOは人員も少ないので、一人でやらなくてはいけないことも多く、AIの活用など新しく覚えるべきことも増えている。新しい技術を使うにもサポートが必要です。
どんな業界であっても、新人ではなかった人はいないはず。自分が苦労したことをこれからの方々が苦労しないためにサポートしていただきたいと思います。
シャプラニールは常に市民とともに活動していますので、金銭的な支援以外にも、ボランティア、イベント参加などで、情報や社会課題の拡散にご協力いただけたらと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
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