自然災害が起きたとき、必要とされている物資が近くの倉庫にあるからと言って、必要としている全員に行き渡るかはまた別の問題です。
避難所や仮設住宅には、誰かが物資を持って行くことができても、ペットがいたり、避難所での生活が難しい家族がいたりなどの理由から自宅で避難生活を送っている人には、「物資がある」という情報さえ行き届かないことがあります。
「私、実家が七尾なんです。震災後は、仮設住宅と避難所以外の、自宅避難者向けの支援をしていました。物資の支援をしている大きめの団体さんにお願いしてみても、行政が運営する避難所とかじゃないと物資を出せないということだったので、それじゃ自分でやろう、と思って始めたんです」
そう語るのは「TEAM Q」の安原 真奈巳さん。元旦の地震以降、行政などの支援が行き届きにくい自宅避難者に対し、金沢から支援を続けてきました
ほくりくみらい基金の助成金にも、「令和6年能登半島地震災害支援基金」第4次緊急助成、「令和6年9月能登半島豪雨災害支援基金」第1次助成で採択されています。
「小さいお子さんがいたり、お仕事をしていたりなどの事情で、行政の支援物資の配布時間に受け取りに行けない方も多かったんです。だから、炊き出しと同時に物資を並べて『好きなだけ持って行ってください』っていう形でやってましたね。
その時支援をしていた方々は今はだいぶ生活落ち着いてらっしゃるみたいなので、今は個人的に何か連絡がくれば物資用意します、っていうぐらいにはなってるんですけど」
(TEAM Q の安原さん)
そろそろ一安心、と思った矢先に発生した豪雨により、今度は安原さんの父親のいる輪島市西保地区ががけ崩れなどで孤立してしまいました。
「父親があの孤立集落にいて、歩いて降りてくると言うので23日に輪島まで迎えに行くことになりました。どうせ行くなら、と集落の皆さんにお配りする食品類を用意して持って行きました」
現地の惨状を見て、緊急の支援の必要を感じた安原さんはその2日後にほくりくみらい基金へ緊急助成の申請をしました。
「本当にすぐ採択していただいて、申請して次の日は(採択の)お返事をいただいたので、めちゃ助かりました」
取材に伺った日は輪島市宅田の仮設住宅へ支援物資を届けに来ていましたが、翌日には一番被害の大きかった輪島市町野町へ駆けつけるそうです。
「お水と、すぐ食べられるものの配布をする予定です。その合間を見て、ボランティアさんが入りづらい町野の奥の方まで行って、泥出しのお手伝いをしようと思っています。今日は輪島のボランティアセンターに行って、ショベル10本を融通していただけました」
支援物資の配布に、泥出しのお手伝いにと、被災後すぐに毎日あちこちに飛び回る原動力はどこから来るのでしょうか?安原さんに聞いてみました。
「いつまでできるか、とか、どこまでやるか、とかを考えきる前にやり始めちゃったんです(笑)止まるところももう見つからないし、このまま、たぶんずっと続けていくんだろうなと思う。
TEAM Qは、『生活支援団体』なんです。『被災者支援団体』じゃなくて『生活支援団体』。だから、これから先もずっと活動していけるような状態にはなってます」
安原さんの目指す被災時にかぎらない生活支援は、被災地域に住む人達が自分たちの力でなりわいを取り戻すところまでを視野に入れています。
「本当は、今、この仮設にいるおじいちゃんやおばあちゃんたちに仕事を作りたいんです。
やっぱり支援され続けてるだけじゃダメだと本人たちも思っているので、本当はおじいちゃんやおばあちゃんが作った野菜や作物を私が金沢で販売したいんです。一度、ジャガイモと玉ねぎの時期にやってみたので、次はお米だねって言っている時に豪雨が起きてしまったのが悔しいですが、また町が再建したらまたやっていこうかなと思ってます」
ほんとうの意味での生活再建は、衣食住が満たされることではなく、衣食住をずっと確保できる収入を得るところまで続きます。TEAM Qが「被災者支援団体」ではなく、「生活支援団体」と定義しているのは、そこまで支援を続ける覚悟を込めているからなのではないでしょうか。