
~ ハッキョへの思い ~
私は倉敷市水島で生まれた後に岡山市で育ちました。
私は幼少期まで倉敷の朝鮮学校(旧、新校舎)に通い、アボジの仕事の関係で岡山市内に引っ越した後は岡山の朝鮮学校(旧、新校舎)に通いました。
幼少から中学まで計四つの校舎に通った学生は稀だと思います。
よって私には現在倉敷市水島にある朝鮮学校も母校の一つで、学校に立ち寄る度に懐かしく感じています。
~ 私にとっての岡山ハッキョとは? ~
朝鮮学校は
・子ども達にとっては「自分らしく育つ場所」また、「アイデンティティと誇りを育む場所」
・コミュニティにとっては「文化や言葉、同胞社会を守る場所」
・日本の社会にとっては「多文化共生を実現するシンボル的存在」
と考えています。
また、ハラボジもアボジも教育会役員として、その時代に学校支援活動に積極的に参加し取り組んでいたと聞いています。
私はハラボジ、アボジの思いや朝鮮学校の大事さを片時も忘れずに物心両面的に青商会役員時代から教育会役員時代、そして現在も継続して支援活動に積極的に参加させて頂いています。


学校創立80周年を迎える今年、青商会も30周年を迎える事になりました。
設立から携わって来た私が、1番嬉しく、また頼もしく思っている事は「先代からの熱き思いと、事を動かす熱意と行動」が今も脈々と青商会メンバーに受け継がれている事です!
この度のクラファンにたくさんの方々からお気持ちを頂戴しました。
今後も青商会を中心として、朝鮮学校の「支援の輪」を広げて行く為、私達はまだまだ出来る事があると思います。

※これまでの学校支援の歩み
<青商会役員時代>
・美化、塗装
・補修
・遊具設置
・グランド整備
・ボンゴ、バス寄贈
・給食や課外授業
その他、多数の学校支援事業を行ってきました。
<岡山ハッキョ教育会役員時代>
主に財政事業に注力
・一口1000円運動
・(財政確保の為の)岡山県を皮切りに香川、高知、鳥取、島根などへの同胞企業への訪問、支援活動の拡大
・保護者や同胞、学生向けのセミナーの開催 など
そして現在も岡山ハッキョのみならず全国のウリハッキョを支援する活動に従事しています。