活動・団体の紹介
NPO法人アクションは、こども達が本来持っている可能性を発揮できる社会の実現を目指して、1994年よりフィリピンと日本において活動を行なっています。
ミッション:
フィリピンや日本をはじめ、世界の貧困層の子ども達や施設の子ども達が、 社会で自立していく為のチカラを身につける機会を提供する
ビジョン:
生まれた環境に関わらず、世界の子ども達が自分のチカラで夢や 可能性を広げることができる、やさしい社会をつくる
フィリピンや日本をはじめ、世界の貧困層の子ども達や施設の子ども達が、 社会で自立していく為のチカラを身につける機会を提供する
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こども達は誰でも良いところを持っています。
そして夢を持っています。
でもその力を発揮し、夢に向かって努力するチャンスは平等には与えられていません。
どんな環境で生きていても、
こども達一人ひとりが、それぞれ持つ力を発揮し、
夢にむかって、おもいきりチャレンジできる。
私たちは、そんな社会を目指し、フィリピンと日本で活動を続けています。
活動の背景、社会課題について
生まれた環境によって、こどもの人生はほぼ決まる―
これが、フィリピンの貧困家庭に生まれたこどもの現実です。 経済的に貧困状態にある家庭に生まれたこどもは、家庭の状況によっては孤児院へ預けられ、あるいはストリートチルドレンとして家計を支える働き手にもなります。
アクションは「こども達の可能性を広げる国際協力」という理念のもと、こども達が自分の人生を歩んでいけるように活動を行なっています。
フィリピンについて
フィリピンは近年の経済成長にも関わらず貧困削減のペースは鈍化し、国民の半分以上が貧困状態にあるといわれています。特に富裕層と貧困層の所得の格差が大きく、わずかな富裕層が多くの富を得る一方で、多くの貧困層が生活に困窮しています。
また、フィリピン国内の雇用機会が不足しているため、高い失業率と海外移住率(出稼ぎ)もフィリピンの特徴的な課題です。さらに、近年の台風とそれに続く洪水などの自然災害による被害が貧困層に大打撃を与えています。
貧困層に生まれたこどもの現状
経済的に貧困状態にある家庭に生まれたこどもは、小学生くらいからストリートチルドレンとして路上で働き、家庭の状況によっては孤児院へ預けられます。そして多くのこどもが学歴もスキルも持たないまま18歳で孤児院を卒業し、社会に出なければなりません。彼らが定職に就くことは難しく、そうして親と同じ経済的貧困のなかで生きていくことになります。これが貧困の連鎖です。
アクションは、この貧困の連鎖を断ち切り、こどもたちが自分自身のチカラで生きていけるように活動を行なっています。
ストリートチルドレンとして働くこどもたちの現状
ストリートチルドレンには様々な定義がありますが、アクションが支援をしているこどもたちは、日中は路上で働き夜は家に戻るこども達です。家庭が貧しく、毎日の食費を稼ぐため、自分の学費を稼ぐために、路上に出て働いています。しかし路上では、ドラッグと隣り合わせの生活、大人からの暴力、性的搾取、エイズなどの性感染症への感染など、こどもたちにとって危険なことがたくさんあります。事故や傷害事件に巻き込まれることも少なくありません。政府は、路上で子どもたちが働くことがないよう、さまざまな法律を制定していますが、自分の食べるもの、家族の食べるものがない子どもたちは、路上へ働きにいかざるを得ないのが現状です。また、今はまだストリートに出ていなくても、家が貧しく将来ストリートに出て働く可能性の高いこどもたちが多くいます。そのため、このようなこどもたちが路上に出て働くことを防ぐために、彼らの親の収入を安定させることも課題です。
児童養護施設に入所するこどもたちの現状
児童養護施設にやってくるこどもたちの背景は貧困、虐待、育児放棄、捨て子、孤児など様々です。本来は180日間を目安とした一時預かりで、その間に家庭の状況が改善され帰宅となるか、または親戚や養子など他の受け入れ先を見つけます。しかし180日間を過ぎてしまうことが多く、長ければ高校を卒業するまで約10年間を児童養護施設で過ごすこどももいます。「すぐに迎えに来るからね」という母親の言葉を信じて待っていても、実際は約束の時期をどんどん過ぎて行ってしまうこともしばしばです。アクションが支援をする児童養護施設のこどもたちにも、当然ながら実の母親はそばにいません。こどもたちは、家族とともに暮らし、甘え、無条件に愛されるという時期を、同じような境遇の仲間たちと共同生活をしながら過ごしています。
フィリピンでは、民間の施設に対する政府からの援助はまったくありません。そのため、施設の運営資金は不安定な寄付に頼らざるを得ず、こどもたちに充分な食事や教育を提供できないだけでなく、スタッフの確保にも苦戦を強いられるのが民間施設の現状です。
活動内容の詳細、実績について
1994年
任意団体 ACTION設立
-1991年のピナツボ火山の噴火で被災した孤児院「ジャイラホーム」を、当時17歳だった代表・横田が訪問。その際にお世話になったフィリピンの方達やこども達に恩返しをしたいと思い、団体を設立。
1995年
「孤児院ジャイラホーム 自立支援事業」を開始
-被災した施設の修繕支援から事業をスタート。
「海外ボランティア体験事業」を開始
1998年
「盲ろう学校ニニョスパグアサセンター自立支援事業」を開始
-マンゴージャム作りを通じた職業訓練、更新口蓋列やヘルニアのこども達に対する医療支援、
職員の給与支援、施設整備等の支援を実施。
1999年
「フィリピン先住民族・アエタ族支援事業」を開始(~2008年まで)
-ピナツボ火山の噴火で被災した約200名のアエタ族に対し、生業の確立と所得向上を目指した
ハーブ石鹸の作成や果樹園作りを実施。
日本事務局開設(東京都武蔵野市境南町1丁目)
フィリピン事務局開設(フィリピンサンバレス州スービック町)
2001年
特定非営利活動法人ACTIONとして法人登記(NPO法人化)
日本国内の児童養護施設「朝陽学園」へのボランティア派遣開始
日本事務局を移転(東京都武蔵野市境南町2丁目)
2002年
日本での学校教育への協力を開始
2003年
「孤児院ジャイラホーム 空手を通じた青少年育成事業」を開始
2004年
武蔵野市教育委員会との協働事業「世界を知る会」の実施を開始
2005年
「ストリートチルドレン支援事業」を開始
-フィリピン現地NGO TATAG(タタッグ)と提携。青空教室の運営支援、奨学金支援、
学用品支援、貧困地域の幼稚園運営支援、貧困地域のインフラ整備等実施
2006年
「孤児院ジャイラホーム クリーニング支援事業」を開始(~2010年まで)
「孤児院ジャイラホーム 農業支援事業」を開始(~2014年まで)
日本事務局移転(現事務局。東京都武蔵野市境南町3-10-1-1F)
-事務局に併設で、チャリティアジアン雑貨店を開設
2009年
「女性の収入向上支援事業」を開始
-マニラ首都圏マラボン市において、貧困層の女性約20名を組織化し、お菓子の袋を再利用した雑貨の製作を開始。
マニラ事務局を開設(フィリピンマニラ首都圏パシッグ市)
2010年
フィリピン事務局を移転。オロンガポ事務局に名称変更。(フィリピンサンバレス州オロンガポ市)
2011年
「ハサミノチカラプロジェクト」を開始
-日本の美容師がボランティアで、フィリピンのこども達のヘアカットを手がける
チャリティカットや成人式のプロデュースなどの企画を実施。
2012年
「児童養護施設の職員能力強化プロジェクト」を開始 (~2015年まで)
-独立行政法人国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業として実施。
2013年
「ハサミノチカラアカデミー」を開設
-日本とフィリピンの美容師の協力の下、児童養護施設のこども達16名がヘアカットの技術を
学ぶ職業訓練を実施。トレーニングセンターをオロンガポ市に開設。
マニラ事務局を移転(フィリピンマニラ首都圏ケソン市)
2014年
オロンガポ事務局を移転(フィリピン サンバレス州オロンガポ市)
「チカラプロジェクト」の本格始動
-ハサミノチカラトレーニングセンターを移転(オロンガポ事務局に併設)、
チカラプロジェクトスタジオに名称変更。
団体設立20周年
-日本とフィリピンで20周年イベントを開催
2015年
セラピストを養成する「癒しのチカラ」開始
-株式会社リジョブ「咲くらプロジェクト」による支援開始
2016年
「児童養護施設の養育体制強化を通じたこども達の成長と自立を促進するプロジェクト」を開始 (~2019年まで)
-独立行政法人国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業として実施。日本で「教育のチカラ(コドリーム)」開始
2017年
フィリピン社会福祉開発省(DSWD)「Salamat Po Award」受賞
ハサミノチカラアカデミー第1期生卒業
リラクゼーションコンテストinフィリピン開催
-癒やしのチカラ受講生である優勝者2名をリラクゼーションコンテストinJAPAN2017に招待
2018年
シチズン時計株式会社とパートナーシップ協定を締結
-CITIZEN First Watch Project
2019年
フィリピン全土を対象にアクションが開発した児童養護施設職員向け研修規定が制定
2020年
2021年
「マニラ首都圏を含む11地域の児童福祉施設及び自治体における子ども達の支援体制強化プロジェクト」を開始 (~2024年まで)
-独立行政法人国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業として実施。
グリコフィリピンとの協働事業「ZERO WASTE PROJECT」始動
2022年
2023年
2024年
-フィリピンで30周年イベントを開催
代表者メッセージ
1994年、17歳のときにフィリピンに渡航しボランティア活動をはじめたぼくは、18歳のとき、フィリピンのこどもたちをサポートするNGOを作りました。
夢を語る子どもたちの笑顔の奥に環境によって夢をあきらめざるを得ない現実があったからです。あきらめを希望に変えるため、ぼくは何度も小さな一歩を重ねてきました。
その積み重ねが、少しずつ環境を変え、国や社会を動かし、子どもたちの「挑戦できるチャンス(=チャレンジ券)」を増やしています。そんな30年以上の歩みの中で気づいたことがあります。
誰かの一歩は、次の誰かの一歩をあと押しする勇気になるということ。生まれた環境に関わらず、子どもたちが夢に挑戦できる社会の実現のために。
アクションと一緒に、その一歩を踏み出してみませんか?
寄付金の使い道について
・フィリピンと日本における国際協力活動
・事務所運営資金

