はじめまして。石川県七尾市で幼保連携認定こども園ひまわりを運営する園長の都由紀彦と申します。ひまわりは、昭和53年に「ひまわり保育園」として私の祖父が開園。それから46年の間、地域のお子さんをお預かりしてまいりました。私は、昭和50年生まれです。物心ついた時から子どもたちのために働く祖父、母を間近で見て育ちました。
【クラファン実行者の自己紹介】
子どもに関わる仕事は未来を作る喜びである。当たり前のように、私は保育士を志し、名古屋で一歩を踏み出しました。しかし、若かったのでしょう。理想を掲げるあまり、保育の仕事に喜びを見出せないまま数年で挫折。現実から逃げるように1年間、バックパッカーとして旅に出ました。世界を旅する中で、多くの人々に助けられ、たくさんの子どもたちと交流したことで、再び保育の世界で働くことに希望を見出します。ドイツで2年間の幼稚園勤務の後、平成17年に帰国。ひまわり保育園の保育士として勤務開始、現場経験を重ねてひまわり保育園の園長に就任して今に至ります。
地震のあの日
園長就任から11年目。ますます、地域の子どもたちにとって、楽しくのびのびと過ごせる未来を見据え、新園舎の着工を計画していたそのとき、1月1日に、令和6年能登半島地震が起こりました。
地震は、それはそれは怖いものでした。鉄筋コンクリートの園舎も大規模な修繕工事が必要な程に傷み、変わり果ててしまいました。被害の大きさがわかるにつれ、私も園職員も途方に暮れることになります。
園庭の大きな地割れ、床が傾き、雨漏りする保育室、水が流れないトイレ、崩れ落ちた園庭と菜園。倒れた棚の下敷きになった大切な仲間、園児みんながかわいがっていたウサギのチョコは天国へ…。
職員の中には、自宅が全壊して避難所で生活したり、余震を心配して一時的に市外の親類の家に身を寄せている者も多くいました。また、発災以降は断水で毎日のように給水のために列に並んだり、家の後片付けをしたり、勤務をやりくりしながら、なんとか仕事と生活の再建に苦労する日々を送っていました。
七尾の復興を支える保護者の皆様を私たちが支えよう
私たち職員自身のままならぬ生活はありながらも、七尾の復興を支える保護者の皆様を私たちが保育を通して支えることが一日も早い七尾の復興につながる。また、子供達の笑顔溢れる生活を取り戻したいとの思いで1月9日にこども園を再開。今、私たちにできる精一杯の保育をしようと職員皆で奮闘してきました。
そうは言っても急場凌ぎです。地震から5ヶ月経っても、トラブルが尽きることはありません。「トイレの水が流れなくなりました!」「雨漏りがします!」「園庭の亀裂が日に日に大きくなっています!」と次々に園舎の不具合が発生しています。
認定こども園ひまわりの信条は「子ども達にとって何が最善かを第一に考えること」。人的にも、物的にも最適な環境を創造し、子ども達と一緒に最良の時を過ごすことで、子供達が望ましい未来を作りだす基礎を培うことこそが私達の最も大切な使命だと考えてきました。しかし、その環境が大きく傷つき、再建にもがいています。
こども園の被害状況
認定こども園ひまわりの園庭は1,247平米と広く、季節ごとに咲く花や葉の色を変える樹木が自慢の自然豊かな環境でした。子どもたちにとって遊びごたえのある園庭で、毎日戸外遊びを存分に楽しんでいました。
幼少期に、好きなことをして遊ぶ。これは最も大切にしなければならない時間です。自由にのびのびと遊べる時間は日頃培ってきた能力を応用して、新たな事柄にチャレンジする、最も生産的で濃密な時間です。
しかし、季節が変わろうとする現在も園庭の半分以上が危険なため入ることができません。一部の遊具は危険なため撤去されました。子どもたちは立ち入り禁止の柵の向こう側に広がる地割れや使えなくなった遊具を眺め、すぐ近くに遊具があるのに遊べず残念そうです。戸外遊びの時間、柵に囲まれた範囲の中ではのびのびとはいかず、我慢しながら遊んでいます。保育士も危険な箇所がすぐ近くにあることから、見守るにも緊張感が続いています。
菜園では年間を通してサツマイモ、トマト、なす、玉ねぎ、ピーマン、じゃがいも等を栽培・収穫していました。子ども達は苗を植え、水やりをし、日々の生長を見ることで沢山の驚きや感動をします。収穫の喜びは食べる喜びにつながります。実体験を通して、農作物を作って下さった方々や食べ物への感謝の気持ちも自然に育まれます。食べることが好きな元気な子ども達が育つ・育てる、ひまわりの保育になくてはならない菜園でしたが、これも復旧の目処は立っていません。
動物達との触れ合いは、温かさ、優しさを感じさせ、誰の心も和ませてくれます。小さく、物言わぬ相手だからこそ「どうしたのかな」「おなかすいているのかな」とその様子から気遣い、思いやる心が生まれます。1月1日の揺れによって倒れた棚の下敷きになってしまったウサギのチョコの死を伝えた時、子ども達は「死」を理解し、悲しみのあまり涙を流していました。チョコのお墓に手を合わせる子らの姿を目にし、私たち職員の胸も締め付けられる思いでした。
園の修繕と新園舎建設に向けて
今、私たちの希望となっているのは、新園舎の建設です。平成18年、26年に大規模修繕工事を行いましたが、開園から46年。これまでに起こった地震の影響で老朽化は否めず、令和6年は新園舎建設計画を立てていました。着工予定が1月4日だったため、地震の影響を受けることは無く、2月末から少しずつ工事が始まりました。
新園舎の完成は令和7年1月を予定しています。一見すると明るい話題のようですが、今も園庭では自由に遊ぶことができない状況が続いています。園舎内外、園庭の修繕など大掛かりな修繕にかかる費用は、約5,550万円の見込みです。国の補助金もありますが、まだ補助金の額も確定しておらず資金に対する不安が尽きません。自己負担額は1,000万円前後となる見込みであり、新園舎建設に伴う借入れも重なり、資金が全く足りません。
園庭で遊べない5ヶ月、子どもの体感では2年半に相当
子ども時代の1日は、大人になってから感じる1日よりももっと長かったように感じていたかと思います。ある研究によると1日の時間が長く感じたのは、人は初めてのことや、経験したことがないことをしている時は、それが強く印象に残り時間が長く感じるが、反対にその行動に慣れてしまうと時間の長さが気にならなくなり、あっという間に時が過ぎたように感じるからと説明しています。
つまり、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)ということです。例えば、5歳の子どもが「園庭であまりあそべなかったなぁ」と感じた5ヶ月は、30歳の大人にとって30ヶ月※もの期間に相当するのです。
子供達の大切な時間は、後から取り戻すことができません。私たちにはひとときも立ち止まっている猶予はないのです。
※脚注:19世紀のフランスの哲学者ポール・ジャネーが発案した「主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く感じられる(ジャネーの法則)」より。
子どもたちの時間が止まることは、七尾のまちの復興にも影響を及ぼします。「この地域では遊べない」そう感じた時間が長びけば、子どもたちの成長とともに「もっと遊べる安全な地域へ」移っていく家族が増えていくかもしれません。今すぐ修繕をはじめたい!私の想いに、どうか力を貸してください。
子どもたちと作る「未来レポート」
「子どもたちにとって何が最善か考える」ひまわりの信条に共感してくださる方々に、園を支えていただくことは、子どもたちとの「未来の約束」につながります。園舎の修繕は「物的な環境」を取り戻すだけではなく、「人的」に日本中の方々が七尾の子どもたちの未来を応援してくれることを意味します。
子どもたちは未来そのものです。子どもたちが笑顔であれば、きっとまちの未来は明るくなります。こども園は未来が育まれる場所であり、私たちは未来を育む仕事に誇りをもって日々子どもたちと一緒に過ごしています。ひまわりで思いきり遊んだ記憶を未来につなげてあげたい。皆さんのご支援で、子どもたちに安全でのびのびと遊べる園庭で、未来を望ましいものに変える力が育まれるずです。今回のご支援に形のあるリターンはありません。しかし、私たちの「未来レポート」をお届けしてまいります。どうか、認定こども園ひまわりの一員に加わっていただけないでしょうか?
ご支援いただいた資金は、園庭の修繕工事に充てると共に、新園舎建設において、補助金で賄えない子どもたちの絵本、玩具、消耗品、衛生品、室内遊具、外遊び用品、保育備品や新園舎の防災対策に活用させていただきます。
支援金の使途(内訳)
園庭の修繕工事費用3,000,000円
新園舎の保育の備品、子供達の遊具や玩具購入、防災用品の購入2,000,000円
スケジュール(建物の修繕時期や再開予定など)
成長著しい子供達にとって、1日の時間の重みは大人の約1週間分です。資金が集まるまで、工事をせずに待ってはいられず、今は1日でも早く園庭が安全に使えるように、支払いのことは後先考えず1日でも早い修繕完了を目指して、6月10日から園庭の修繕工事が始まりました。
能登復興ネットワークとは
こちらのプロジェクトは、能登復興ネットワーク(NRN)のサポートのもとで実施しています。能登復興ネットワークは、能登半島地震からの復旧、復興に向けて活動している地域内外の各種団体が参画するネットワークです。それぞれが、自律的に活動しながらも、お互いの情報を交換しつつ、復興に向けてのインパクトを最大化できるように、下記の団体が中心となって発足しました。
・株式会社御祓川
民間まちづくり会社として1999年に設立。もともとは、川沿いにお店をつくる取り組みを中心にしてきたが、2007年3月に起きた能登半島地震での経験から、地域コミュニティの担い手を増やすことを大切にしつつ、自然資源の循環・地域経済の循環・地域人財の循環を通じた「小さな世界都市の実現」=持続可能な社会づくりを目指しています。能登の中間支援組織として「能登スタイルストア」や「能登の人事部」の取り組みを進めてきました。
・七尾未来基金設立準備会
能登復興ネットワークの事務局。能登地域でのお金と人材のエコシステムを循環させるためコミュニティ財団として設立準備中に、今回の地震が発生しました。中長期の復興を見据えて「里山里海未来基金」と名称を改め、法人化する予定です。昨年2023年に決定した休眠預金等活用助成事業「社会的困難者が役割と希望を再生するコミュニティ活動」の資金分配団体として、3つの実行団体と共に「誰ひとり取り残されない地域」を目指し、ひきこもり・不登校児童・シングルマザーなどを対象とした活動を展開しています。今回の震災によって、より社会的困難者は過酷な状況に陥っており、その活動がますます必要とされることは間違いありません。