活動・団体の紹介
OPEN JAPANは1995年、阪神淡路大震災で「神戸元気村」として生まれ、「ボランティア元年」から7年半神戸で活動した災害支援団体です。
2011年、東日本大震災で「ボランティア支援ベース絆」として石巻に再集結しました。
そのまま石巻を本拠地に定め「一般社団法人OPEN JAPAN」として法人化し、以降日本各地60か所以上の自然災害で支援活動を行っています。

・11年、石巻ボランティアベース絆の時の様子
私たちは災害が起きるとまず現場へ向かいます。そして現地の行政・社会福祉協議会・地元団体と連携し、ボランティアセンター運営サポート、コーディネート、炊き出し、企業支援等が偏らないマッチングのお手伝いなどを全国から集まる仲間たちと行います。
並行して重機やチェーンソーを用いた土砂・倒木処理、大工活動での家屋の応急修復など技術系ボランティアと呼ばれる活動にあたります。

・24年、能登半島地震、津波のあった地域での活動
2024年能登半島地震では1月1日より情報収集を開始、2日に宮城を出発し3日から七尾市で炊き出しを開始しました。2025年12月現在も活動を継続しています。
何ができるということよりも、必要とされることを各地でおこなっています

・24年1月、連携アウトドア企業が能登町の子どもに冬靴500足配布のアテンドを
今年、2025年の年末と26年の1月1日も私たちは能登で迎えます。
活動の背景、社会課題について
阪神淡路大震災から30年、そして東日本大震災から15年。
災害ボランティアの力は被災した町々の復旧に欠かせないパワーとなっています。
この30年間の活動を通して、災害対応におけるこれからの課題、そして取り組みを考え、みんなで学ぶことができる場所を作りたいとの想いにいたりました。
下記の三点を柱に、私たちの活動拠点である宮城県丸森町に「学びのさとやま」を創るプロジェクトを開始しました。
1)災害における技術系ボランティアの必要性
2)アウトドアと災害の親和性
3)山間被災地で活動してきた私たちの「学びのさとやま」づくり
1)災害における技術系ボランティアの必要性
災害現場において近年注目されているのが「技術系ボランティア」の存在です。
災害ボランティアセンターでは引き受けることのできない、重機や回転工具などを用いる危険を伴う活動を担っています。

・25年、山形秋田豪雨 大工活動による浸水家屋の応急修復
今日の災害復旧スキームでは行政、社会福祉協議会(災害ボランティアセンター)、NPO等災害支援団体の3者連携が不可欠であるとされています。
各地での経験を持つ私たちはコーディネーターとして災害ボランティアセンターの運営支援にもあたります。これも技術系支援団体の大事なスキルです。

・25年、山形秋田豪雨 災害ボランティアセンターと現地調査・技術系団体のアテンドを行う
また、私たちは外部支援者としてその地をいつの日か去っていきます。そのあとのために地域で出会ったみなさんに重機などの講習会や団体の立ち上げ・運営アドバイスなどもおこなっています。2019年に起きた台風19号災害では丸森町で「まるもり女子重機隊」の結成をお手伝いしました。
地域ごとでの災害対応力を高めるとともに、災害にあった人たち同士をつなげ、前回の被災者が次の支援者として活動するお手伝いもおこなっています。

・25年、能登で開催された能登女子重機講習会の様子
2)アウトドアと災害の親和性
私たちは各現場でベースを構え、活動に集う仲間たちの「ボランティア支援ベース」の役割も果たします。
ときには行政や地域から廃校や公共施設をお借りします。または連携アウトドア企業から製品支援でいただいたテントやタープでキャンプを張り、テント/車中泊などで共同生活をしています。

・18年、西日本豪雨愛媛県西予市 テントベースでラジオ体操からスタート
水や電気がなければどうするのか、天気はいつ崩れてくるか。生活の一つ一つが毎日工夫と学びです。食器洗剤や洗濯洗剤もかならず無添加の物を使用し、下水や浄化槽が壊れている地区でも最大限汚さない心がけを持ちながら生活します。
この日常生活は支援活動にもそのまま活かされ、能登では断水が続いた5か月間、清潔な水を調達しながら炊き出しを行いました。これらの経験からアウトドアはそのまま避難生活などの防災、災害対応につながるものであると考えています

・24年、能登半島地震では3万食の炊き出しを実施した
フェーズフリーという言葉も広まっています。災害が起きると時にインドアの生活から否応なくアウトドアの生活へと駆り立てられます。普段のアウトドアやキャンプがそのまま防災につながり、外で「生きる力」を育む。私たちの仲間にはカヌーイストやアウトドア企業人がたくさんいて、やはり災害の現場ではそのスキルと経験がいかんなく発揮されます。
3)山間被災地で活動してきた私たちの「学びのさとやま」づくり
私たちが活動地を選ぶ際に、「メディアの露出が少ないところ」「アクセスが悪くボランティアが集まりにくいところ」という基準があります。
人が集まりにくいところで、必要な人たちに支援が届くよう活動してきました。そうするとやはり過疎傾向にある山間地域での活動が多くなります。
山里での災害で土石流や流木などを取り除きながら、地域の方々と力を合わせて活動してきました。ときには地域の方にチェーンソーの扱い方や地元の食材のお料理方法などを教えていただきながら、山の知恵と暮らしを間近に見させてもらい学ぶことのほうが多いのが毎回です。

22年、静岡台風15号災害 支援に入った山里の杣人によるチェンソーさばき
東北を拠点とする私たちにとって、昨今の熊のニュースも他人事ではありません。あちこちで出会った山里に暮らす人たちが作り出した「さとやま」の文化も各地で消えてしまっています。
これにより山の獣たちが町におりてくることも自然と人の変化がもたらした一つの災害であるととらえています。防災は自然から見えてくることがたくさんあります。

・20年、7月豪雨熊本県球磨村 山の集落で教えてもらったたくさんのことがあります
災害支援でつちかった知恵や経験、各地のおじい、おばあに教わった山での暮らしを思いおこしてさとやまを整備していきます。重機やチェーンソーを用いながら森と山里の間によこたわるゾーニングを行うことが大切です。さとやまの活動を通して重機やチェーンソーの使い方を学び、いずれは資格も取れるようシステムも整備していきます。

・19年 丸森町台風19号災害 町と災害協定を結び公共部分の復旧にあたる
災害対応、アウトドアアクティビティ、さとやま整備。
これらはひとつにつながり円環する活動であると考えます。
その活動を行う「学びのさとやま」を宮城県丸森町に整備していきます。
活動内容の詳細について
◇宮城県丸森町のさとやまを整備しながら災害拠点を設立
宮城県丸森町の古民家と耕作放棄地となった田畑および山を購入しベースとします。
さとやまに位置するこの場所を整備しながら、古民家を再生し、宿泊所およびセミナースペースとして活用します。
また、耕作放棄地や山は重機などのトレーニング場や、キャンプサイトとしていきます。
また災害拠点として資機材倉庫および整備場としての機能も持たせます。

・丸森町のベース取得予定地を整備中
家族連れでみんなで泊まりながらの体験もできますし、さまざまなプログラムの受け入れ場所としての活用も可能です。使い方もみんなで決めながら発展していきたいと思います。
その場所づくりから仲間たちみんなで一緒に取り組んでいきます。

・築100年以上の古民家、8畳間3部屋続き、全て大引き根太から床の張替えが必要
私たちは重機を使う団体として支援活動界隈では認知されていますが、けっしてそれだけではなく、その時に必要とされる活動をします。
すべての支援活動において福祉的な視点、ボランタリーのスピリット、共助の姿勢が必要です。
技術だけを求める学びではない、人と人がつながり自然と向き合う、そんな学びの場としていきたいと考えています。

・「その先の笑顔のために」集まる仲間たち、そんな学びあいの場所です
現在、農地転換を含む土地取得に際し必要な手続きもほぼ完了し、すでに一部重機による整地や、チェーンソーによる間伐、同時に古民家の復旧を開始しています。
皆様には寄付のお願いをするとともに、ぜひご一緒にそのベースづくりにもおいでいただければと願っております。
寄付金の使い道について
寄付金の使用概算予定は下記のとおりです。
算出の基準はこれまでの活動での支出に基づきます。
丸森プロジェクト(2025年秋活動開始~2026年度活動予定分)
●丸森土地取得費用(家屋含む)¥2,500,000‐
●家屋復旧修繕費用(材料・消耗品費・残置物処分費等)¥1,800,000‐
●整備人件費(プロボノ長期固定スタッフ2か月分)¥200,000x4名x2か月=¥1,600,000‐
●整備用燃料費(重機・ダンプ) ¥800,000‐
●資機材費用(チェンソー等工具・重機消耗部品・重機車両整備費等)¥1,500,000ー
●土地造成費用 ¥1,000,000ー
●事務管理費用 ¥800,000ー
目標総合計 ¥10,000,000‐
セカンドゴールの目標額は拠点運営費および活動期間の拡大と災害発生時の初動資金に充当します。
皆さんとともにてがける「学びのさとやま」づくり、ぜひご支援のほどよろしくお願いいたします!



