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アフガニスタンの女性のことを忘れないで
(女性・ジャーナリスト)
私はこれまで、10年以上アフガニスタンの国内メディアでレポーターとして働き、そのかたわら執筆や女性の権利のための活動を行ってきました。
しかし去年8月のアフガニスタン政府の崩壊以降、私は二度とメディアに出ることを許されませんでした。
タリバンの抑圧のなかで、再び闇がアフガニスタンを覆っています。
女性は働く権利と学ぶ権利を奪われ、女子校は閉鎖されました。ジャーナリストや女性活動家が厳しく弾圧されるなか、私も脅迫状を受けとりました。
カブール市内の片隅で、自分はこれからどうなってしまうのか、とても不安で、辛い毎日を過ごしていました。
そんなとき、友人の紹介でREALsのことを知りました。
私はREALsの国外退避支援を受けられることになり、チームの皆さんがたくさんの努力をしてくれたおかげで、アフガニスタンを出国することができました。
退避が叶うまでの間で一番辛かったのは、タリバンの進行で首都カブールが陥落した時です。
カブール陥落の噂を聞いたとき私は仕事場であるテレビ局にいました。どうやって家に帰ったのか覚えていません。
これまで何年も勉強をしてきたこの場所が、煙と火薬と戦争によって一瞬で吹き飛ばされてしまうなんて…。
ついに出国日が決まり、アフガニスタンを去るという日も、辛い日でした。
涙をこらえることができませんでした。
祖国はまだそこにあるのに、私たちから奪われ、タリバンの手のなかにあるのです。
私は布で顔を完全に覆って、検問所を通り抜けられるようにしました。
検問でタリバンからいくつもの質問をされましたが、身元が知られて拘束されるのではという恐怖で生きた心地がせず、倒れそうになるのを何度もこらえました。
その後、中継地点となる国で6カ月間待機していましたが、REALsはその間も最終的な受入国となる国への受け入れ申請を進めることに加え、安全な住居や生活費、滞在許可などの準備をして生活を支えてくれました。
そして今年7月、ヨーロッパの退避先の国から受け入れ許可が出され、REALsが準備してくれた飛行機に乗り、無事に到着することができました。
私が無事安全な場所に着くまで、必要な支援をしてくれたことに心から感謝しています。
皆さんの惜しみない努力によって、ようやく私は安心して息をする事ができるようになりました。
タリバンの支配下で過ごした日々で容易だったことは何ひとつなく、祖国を去るのはとても辛いことでした。
しかし私はいま、ようやく安全な場所で生活することができて幸せです。国外退避支援に、とても感謝しています。
一方で、私は今も、アフガニスタンが自由になって、女性が学び、働く権利を再び得られるようになることを願っています。
タリバンの支配下で、アフガニスタンのこれからを見通すことはできません。
日本を含む世界の皆さんに、どうかアフガニスタンの女性たちのことを忘れないでいてほしいです。
REALsと日本の皆さんの支援と努力は、決して忘れません。
こうした支援が、アフガニスタンの女性とアフガニスタンの人々のために、これからも変わらずに続くことを願っています。