高木仁三郎市民科学基金 代表理事 河合 弘之

高木仁三郎さんは、2000年10月8日に死去した。これほど多方面かつ多くの人に惜しまれた死は珍しいと思う。それは彼の実績、思想の質の高さのためであると同時に、彼に更なる行動と成果を期待していた人が多かったためであろう。自らが癌にかかっていることを表明してからの2年間の高木さんの活動は目覚ましいものがあった。各地で講演をし、証言し、そして著作した。私は彼の講演についてまわった。これが最後の講演になるかもしれないと、いつも思いながら。原発の廃絶、とりわけ核燃料サイクル政策の廃絶を熱っぽく語る彼を見て、私は「野に叫ぶ聖者」という言葉を何回も思い浮かべた。また市民科学の必要性を説く彼の姿は、良心的で有能な科学者の思想の到達点を示していた。黒板に図を書きながら、彼は言った。「科学や技術は人間の利便性という光のさす部分を追求する。しかしそれには必ず陰の部分、負の部分が伴うことを忘れてはならない。自動車のもたらすスピードと排気ガスによる空気汚染、地球温暖化のように。その最たるものが原発による電気の利便と、過酷原発事故の恐れ、日常的被曝、そして使用済み燃料の後世への押しつけだ。これら現代科学・技術の陰の問題に市民の立場から取り組み、市民のための解決策を提示する科学が必要だ。それを市民科学と呼ぼう」高木さんが晩年に至って明確に打ち出したこの考え方には、多くの者が感銘を受けた。
高木さんは市民科学という思想を主張するだけでなく、実際に市民科学を奨励し、市民科学者を育てる枠組みを作ろうとした。その一つが高木仁三郎市民科学基金である(もうひとつは高木学校であり、これは彼の生前に発足した)。
彼は弁護士である私に対して、彼の全ての財産を基金の設立に当てるような法律的なスキーム作りを依頼したのだ。私は忠実にそれを実行した。彼の遺産は約3000万円だった。清貧の彼にも多くの支援者がいて、それらの人々からの基金を、彼はしかるべき日のために貯えていたのだ。彼は言った。「私が死んだら月並みな葬式はやめて偲ぶ会をやってほしい。そこでカンパをいっぱい集めて私の遺産とあわせて市民科学基金の基礎となるお金をつくってくれないか」。残される者にとって重い課題だった。
2000年12月10日、日比谷公会堂での偲ぶ会には約3000人の人々が集った。
そこで私は懸命に高木基金の必要性をのべ、基金の要請をした。「皆さん、今、財布の中にあるお金を全部置いていって下さい。それは高木さんと志をともにすることです。」と。スピーチが終わった時の拍手の大きさを私は忘れない。これで基金を発足するに足りるお金は集まる、私はそう確信した。その日の夜、遅くまでかかって千円札、壱万円札と硬貨を皆で勘定した。
3880万5390円あった。これと高木さんの遺産約3000万円の合計約6900万円で高木仁三郎市民科学基金はスタートした。
私たち理事が、この基金の基礎に据えたコンセプトは「市民運動としてのファンド」ということだ。大会社や大金持ちが大金を拠出し、それを審査委員らが良しとする研究に、助成金として出すのが普通のやり方だ。しかし、それでは市民科学助成としての特徴がないし発展性がない。
市民運動体としての基金とは、「市民がお金を出し、応募者は市民に向かってプレゼンテーションをし、市民の意見も入れて助成対象者を決め、対象者は研究が終わったら、その成果を市民に向かって発表し、その発表に感銘した市民がまたお金を出す」というような良い資金循環としての基金である。反原発だけではない広い分野から理事と選考委員を得て、この基金は動き出し、動き続けてきた。
そして2011年3月11日の東京電力福島第一原発事故。
高木さんが、「友へ――高木仁三郎からの最後のメッセージ」(これは偲ぶ会で朗読された)で述べた、「原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです」という言葉のとおりになってしまった。福島第一原発の重大事故の発生を知ったとき、高木さんの危惧が現実になってしまったことに、私は強い怒りと悔しさを覚えた。
そして、もう二度とこんなことを起こしてはいけない、そのためには何でもやろうと決心した。そのように心を動かされた人は多かったと思う。現に、3・11事故後、高木基金に対する寄付は急増した。「原発事故はもうたくさんだ。原発をなくす、安全・安心な社会をつくるための研究や運動に使ってほしい」と。
その中で、2011年の12月に、都内のとある個人の方から、亡くなられたお母様の遺産からとのことで、5千万円もの高額のご寄付をいただいた。その際、「先進的または実験的で、その成果が次の事業に生きるようなプログラムを新たに開発し、概ね10年にわたって実施してほしい」という主旨のご要望をいただいた。難しいご要望ではあったが、高木基金としても大変光栄なことであり、2012年度の一年間をかけて、どのようなプログラムを立ち上げるべきか、検討を重ねた。もともと、ご寄付の際のご希望には、原発問題へのご指定などはいただかなかったが、福島原発事故を受け、高木基金として新たに立ち上げるべき事業としての結論は、脱原発社会の構築のための情報分析、現実的な政策立案と社会的な検討の「場」を構築すること、すなわち、「原子力市民委員会」の立ち上げである。
この大きなご寄付のおかげで「原子力市民委員会」が発足し、さらに多くの方から事業指定寄付によるご支援をいただいたことで、活動を継続することができている。原子力市民委員会が発表する意見は、再稼働一辺倒の政府や原子力ムラの一方的な言い分に対する強力かつ有効な反撃となり、また市民の心のよりどころとなっている。
高木基金の発足以来、20年以上にわたり、多くの方々から大口、小口の寄付をいただいたことに、心から感謝し、ともに喜びたい。また、この様な活動をこれからも粘り強く続けていくために、引き続きのお力添えをぜひともお願い申し上げたい。
地道に市民科学を探究すること、それを支援し続けること。これが私たちにできる最も重要なことだ。時の権力がどんなに無理押ししても、世論調査をすれば、原発再稼働反対の数は、賛成の3倍もあることがわかる。この声は「原発やめろ!! 自然を守れ!! 地球を守れ!! 後世に美しい環境を!!」という声と100%重なっている。そのような声を維持し、強くしていくことがついには政治を変えるのだ。そのための知識と意思を国民に供給し続ける。これが高木基金の役割だと思う。