彦十蒔絵は、主に輪島市内在住の漆芸職人で組織する職人集団です。主宰する若宮隆志を中心に、輪島出身者だけでなく、県外や海外(マネージャーの私は台湾出身)から輪島に移り住んだ職人たちで構成されています。能登半島地震の発生当時、職人さんたちのほとんどが輪島市内の自宅にいました。
そもそも職人さんたちの居住環境は古い家屋がほとんどで、マグニチュード7.6の地震にはとても耐えられませんでした。あの日の強い揺れによって、チームの半数以上が家を失いました。そして、帰らぬ人となった仲間もいます。
彦十蒔絵の制作スタイルは、若宮隆志が作品の青図(完成予想図)を描き、それに基づいて各工程に相応しい職人を選んで発注をし、制作過程の全体を監督しつつ、品質管理や販売・流通まで行うというものです。そのため、日頃から職人さんとの連携は、代表である若宮と私との3人のグループLINEをそれぞれつくり、同じ企業に勤めているかのように密に取り合っていました。
地震が起きた日、すぐに職人さんたちへ安否確認のLINEをしました。返事がすぐに返ってきた人もいましたが、既読すら付かない人がほとんどで、電波や電源の問題もあるとは思いましたが、その後も毎日祈るようにして、LINEを送り続けました。
テレビで見る、のと里山海道の大規模陥没、輪島朝市の火災、家屋の倒壊、道の亀裂。陸・空・海から救助活動が行われるものの、思うように進まず、画面の前で自分の心もどんどん滅入ってしまう気がしました。なんとかしないといけないという気持ちばかりが先に立ち、眠る気にもなれず、スマホで情報収集をしながら、職人さんたちの安否確認を続けました。そして、自分なりに一生懸命に次の対策を考えていました。
地震発生当時、代表の若宮隆志が、直前に受けた手術のために金沢市内の病院にいたことは不幸中の幸いだったかもしれません。震災直後から、応援を申し出てくださる方々が絶えず、取り急ぎ自分たちで義援金や寄付を受け付けることにしました。職人さんたちが制作を続けられるのなら、仕事を継続できるのなら、自分が頭を下げることは価値のあることだと感じました。
多くの方々からご支援を頂戴したおかげで、1月10日には、行政などよりも先にまず職人の皆さんへ集まった義援金を手渡すことができました。その支援をもとに、金沢へ移ることができる人はみなし住宅を借りるなど、動き出すことができました。
彦十蒔絵の事務局として、職人さんたちの安否、近況の確認は、3月に入っても続けていました。そんな中、3月14日になってようやく、金沢市内の飲食店で、震災後初めてとなる関係者一同の顔合わせができました。
「生きてて良かったね」「恐ろしかったね」「今はどこに住んでる?」「家は大丈夫だった?」「水出たん?」「身体がなんともないのが幸いやね!」など、互いの顔を見て話ができる喜びと安心感を感じました。そして、互いに協力し、多くの方々のお力添えを頂きつつ、これからも皆で仕事を続けていこうと話し合いました。
発災から半年が経ち、今でも行政からの義援金さえ受け取れていない輪島の住民の方もいます。家屋が崩壊したままの街並み、道路の陥没。ゴーストタウンのようにも見える輪島。私にとって見るにも心苦しい光景で、まだまだ支援の手が必要だと感じますが、「電気も水もあるし、買い物も出来るから、もう大丈夫」と話す人もいて、こういう状況では、さまざまな受け止め方や感じ方があり、「正しい支援のあり方」はないのだというふうにも感じます。
皆様から頂いた温かい支援の気持ち、彦十蒔絵で行ったチャリティー販売の売り上げもあり、職人さんたちの生活環境を整えながら、彦十蒔絵は6月から少しずつ制作を再開することができています。
とはいえ、今は「復興」よりもまだ「復旧」が必要な段階だと私は感じます。仕事を再開するよりも、「心のケア」が必要な人も周囲に多くおられます。
職人さんたちが支援の手から抜け落ちてしまうことがないように、きめ細やかに心を配りながら仕事を回し、彦十蒔絵として制作、漆芸文化の継承と発展に力を尽くしていきたいと考えています。引き続き、多くの皆様のご支援を切にお願いいたします。
彦十蒔絵マネージャー
Wawaこと高 禎蓮
金額3,000円 |
金額10,000円 | 在庫51 |
金額10,000円 |
金額30,000円 | 在庫43 |
金額30,000円 |
金額100,000円 |
金額300,000円 |
金額500,000円 |
金額1,000,000円 |
金額10,000円 |
金額3,000円 |
金額10,000円 | 在庫51 |
金額10,000円 |
金額30,000円 | 在庫43 |
金額30,000円 |
金額100,000円 |
金額300,000円 |
金額500,000円 |
金額1,000,000円 |
金額10,000円 |