彦十蒔絵で職人をしています。生田圭(イクタ ケイ)と申します。勤め始めて今年で7年目、造形・変塗り・デザイン担当です。
出身は京都ですが、漆芸技術研修所に入所するため大学卒業後、輪島に移り住みました。
大学ではデザインの勉強をしていたので、漆に携わり始めたのは輪島に来てからです。研修所では2年間漆芸の基礎の勉強をしましたが、卒業後の進路は全く掴めずにいました。
漆の仕事で就職先を探しても、収入面やこの業界の先細りの状態をみて、正直明るい未来は見えませんでした。だからといって、一人でやっていけるほどの技術も知識も人脈もありません。何か別のことで稼ぎながら、漆は趣味か副業で・・・などと考えていたとき、若宮さんと出会いました。
何十年も仕事をしてはじめて一人前と認めてもらえるような職人の世界で、たった2年勉強しただけの私に、若宮さんは初っ端からトップレベルの仕事を与えて下さいました。もちろん尋常じゃない緊張やプレッシャーがありましたが、「若宮さんのような人がやっていいと言ってるんだから、大丈夫なんだろう」という開き直りもあり、いきなり全力でやるしかない状況から彦十蒔絵での仕事が始まりました。
「こんな大変な仕事、よく断らずにやるね」と言われましたが、正直何が大変な仕事で何が普通の仕事かも分かっていませんでした。ただ、若宮さんの言うことは本質的で、嘘や綺麗事がなく、真摯に人に向き合ってくださっている事がはっきり感じ取れたので、私が疑うことなく本気で仕事に取り組む事ができたのは、若宮さんの人間性によるものだったと思います。
そのようにして、目の前にある仕事をとにかくこなす日々を6年間送ってきました。仕事に対する思いは、震災後も変わっていません。
しかし地震によって仕事をする環境がなくなってしまい、とにかくまずは仕事をする場所をつくるため、地震からひと月も絶たないうちに金沢に部屋を借りました。そこから、輪島からの荷物の引き上げ。一度じゃ無理なので何度も何度も往復しました。そして、家と仕事のことについてのさまざまな手続きや申請。
その後、金沢でしっかりと仕事続ける場所を確保するため、5月には2度目となる事務所の引っ越しを、自分の家の引っ越しと共に行いました。とにかく目まぐるしい毎日で、いつ・何をしていたかの記憶さえおぼろげなほどです。
先月6月に入ってやっと、漆の作業ができる環境も整ってきました。避難によって溜まってしまっていた仕事、新しい企画・・・やることは山積みです。
本当はもう少しじっくりとこれからのことを考えたり、輪島に対して何かを思ったり感じるべきなのかもしれませんが、今自分にできること、漆を次に繋げていくためにできることは、被災前と変わらず、目の前の仕事を一つずつ完遂していくことだと思っています。
そのようにして漆の仕事を続けていくことこそが、これまで支えてくださった方々、今回のご支援をくださった皆様への感謝の気持ちだと思っています。
金額3,000円 |
金額10,000円 | 在庫51 |
金額10,000円 |
金額30,000円 | 在庫43 |
金額30,000円 |
金額100,000円 |
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