わたしは宮城県出身で、東日本大震災も経験しました。被災するのはこれで2回目です。どちらも電気、水道、ガスといったライフラインが止まるほどの大地震であり、どちらもたくさんの人がお亡くなりになりました。
能登震災の当日は、宮城にいましたので私は無事でした。幸いにも、輪島の家の被害は少ないほうでしたが、能登に戻れたのは地震から約1ヶ月後でした。能登半島という土地の特殊さ、立地の難しさをあらためて痛感しました。
地震の少し前から通わせていただいていた彦十蒔絵の皆さまが、とても心配してくださいました。地震のあった時は、石川県立輪島漆芸技術研修所の卒業を控えていたので、卒業制作と並行して家の片付けや引っ越しの準備をしていたところでした。
研修所を無事に卒業した際、同じように皆大変な状況だったとは思いますが、彦十蒔絵に入らせていただけることになりました。その後現在に至るまで皆さんに支えていただき、なにかご恩返しができればと思っています。
震災関連のニュースは、耳にするだけで心がとても消耗します。耳を塞ごうと思えばできるかもしれませんが、今でもたくさんの人が復興に向けて力を尽くしています。全国ニュースでの報道はだいぶ減ってしまったように思いますが、半年経った今でも能登半島は「被災地」であることを、どうか多くの方に忘れないでいただきたいです。風化させることなく、どうか自分事として捉えてもらえたらと思っています。
日本に住んでる以上、地震はどこにいても必ず起こり得ます。私は25年しかない人生で2回も被災しました。その経験を持つ私が今伝えられることとして、有事への備えや避難経路の確認など、万一の際の行動に注意を払って、日々を大切に過ごしていただきたいという思いがあります。
地震から半年が経った今、金沢の工房で、昨年末に進めていた作業の続きをようやく始めることができました。その他にも新しい取り組みや、今まで知らなかった「漆芸制作の現場」に携わることができ、ワクワクしています。多くの方のご支援を頂いたおかげで、私は夢だった漆の仕事ができています。彬子女王殿下が中心となって進めておられるこの「漆能プロジェクト」もその一つです。
歴史上初の「漆能」という新しい物語が作られること、その物語の中に、生きているうちに参加させていただけるという事実を、大変嬉しく思っています。
わたしは彦十蒔絵のメンバーの中で今は一番下の世代ですが、この先たくさんの「自分より下の世代」に出会うことでしょう。そのとき、彼らと一緒に良いものを作り上げていけるように、また、今まで先人達が繋いできた漆の精神性や技術を伝えられるように、学ぶという歩みを止めずに、楽しんで制作をしていきたいと思っています。
応援していただけたら嬉しいです。多くの方のご支援をお願い申し上げます。
彦十蒔絵
川村瞳
金額3,000円 |
金額10,000円 | 在庫51 |
金額10,000円 |
金額30,000円 | 在庫43 |
金額30,000円 |
金額100,000円 |
金額300,000円 |
金額500,000円 |
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