
曙橋に所在する映画祭東京事務局へ通勤していたのは遠い昔であるが、先日久しぶりに朝のラッシュアワー時の電車に乗るはめに陥った。相変わらずの混雑ぶりで、車内の老若男女たちはスマホを能面のような顔つきで見つめている。隈なく見渡しても本に夢中になっている人どころか通勤の風物詩、几帳面に折られた新聞を読むおっさんさえもいない。2019年政府主導で始まったペーパーレス化の影響なのか、車吊りもほとんどない。人の過密さは変わらないが、以前より車内は気まずいほど静寂になったようで落ち着かない。
山形映画祭は第一回目から紙媒体の発行に力を入れていた。映画祭の全プログラムを収めた公式カタログはもちろんのこと、開催期間中の日刊紙、各プログラムの冊子、世界や国内のドキュメンタリーに関する情報や状況を伝えるための機関誌。たぶん数えたら現在に至るまで百冊ではすまないだろう。プログラムの冊子が書籍(『日米映画戦』青弓社)として後日出版されることもあったし、2006年には映画祭の機関誌の中のドキュメンタリー作家インタビューシリーズを中心にまとめた『ドキュメンタリー映画は語る:作家インタビューの軌跡』(未来社)と題した本も刊行された。担当者のプログラム冊子に注ぐ情熱も鬼気迫るぐらいの勢いがあったが、当初は版下を印刷屋さんに納入しての作業で時間と経費も今よりずっと負担が大きかった。ひとつの冊子の制作には原稿・翻訳料、印刷代だけで3百万ほどになって驚嘆したことがある。さすがにやりすぎだという声もありその後は金額面でこれを超える冊子はないだろうが、今は亡き佐藤真監督に「山形映画祭の印刷物は本当に貴重だ。そのおかげで自分も本を書くことができた」と言われたことがある。国際映画祭として必ず英語も併記しているので、海外からも引用したいとの問い合わせも度々ある。そういえば、映画祭でお馴染みの通訳者・山之内悦子さん(『あきらめない映画:山形国際ドキュメンタリー映画祭の日々』著者)が翻訳や通訳の指導の際映画祭カタログを教科書にしていると。山之内さん曰く「翻訳のクオリティが高く、日本語と英語の比較ができる」とのことで、そんな使い方もあるのかと感心したものだ。
23年の映画祭ではゲストである監督たちへのインタビュー集を担当することになり、病のため最前線で活躍できなかった初代東京事務局長である矢野和之とメールでやりとりしながら、それぞれの監督たちの映像スタイル・内容や言語を考慮しながらインタビューの聞き手の候補を絞っていった。最終的には多くの人たちの協力を得ながら記事は日・英で作成したが、予算のこともありオンライン公開のみとなってしまった。この度クラウドファンディングという機会をいただき、冊子を作成できるかもしれないとの朗報。聞き手は少しずつ決まりつつあり、どんな刺激的なインタビューが上がってくるのだろうかと想像するだけで心が躍る。どんな冊子にしたいのかと問えば、さまざまなアイディアが頭の中を転がるように巡る。
24 年に永眠した矢野が以前に山形映画祭を「“きっかけ”としての映画祭」と表現したことがあったが、紙媒体もまたその“きっかけ”としての重要なツールといえる。映像媒体のみならず紙媒体にも長きにわたり力を注いできた山形国際ドキュメンタリー映画祭の、その真骨頂をぜひみてもらいたい。
小野聖子 YIDFF25インタビュー集『ドキュメンタリーは語る』編集者


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