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ある一人の夢舞台OGのストーリーvol.2
小学生から児童養護施設で暮らしていた私。
とにかく甘えさせてもらった、わがまま放題でお姫様のような暮らしだった。
始めて自分で決めたのは、中学卒業後の旅館の住み込み就労。
社会経験がとにかく足らない私は、2ヶ月で退職した。
SOSを出した児童養護施設は、「部屋が無いから戻れない、ここでは暮らせない」と言われてしまった。
それでも全く焦りは無い、だって大人は結局何とかするのだから。
そうもいかずに、自立援助ホーム夢舞台に来た。
自分の収入で利用料、生活費、携帯代を支払わなければならない。
私は働けず、最優先すべき利用料が支払えず、携帯を一度預かると言われた。
絶対嫌だった私は、児童養護施設の施設長を引き連れて、預かられることを断固拒否した。
児童養護施設の職員からも「預けなくてもいい形もありますよね」と言わせたが、
「ウチ、そういうのやってないんで」とスタッフは一蹴した。
夢舞台の暮らしは、楽しかった。
17歳の時、キャバクラの仕事をしたいと申し出たが、私が求めていた返答は貰えず、絶対にやってやるからと、半ば強引にキャバクラの寮に住込みを強行した。
接客も嫌な役回りをさせられている自覚はあったが、仕事は何とか続けていけた。
今思えば、夢舞台は、その間も厳しいことは言わずに見守ってくれていた。
そこで、後のパートナーと出会った。
暫くして結婚し、家も購入し、憧れていた家庭というものを嚙みしめていた。
夫は自分に甘く、私に厳しく、外で私の悪口を言いふらして喜んでいるような人だった。
暴力も日常的に受けていたが、その日は違った。
私は命の危険を感じ、夢舞台に電話した。
「お願い、電話を切らないで、このままでいて」
スタッフは警察に繋いでくれた。
「今すぐ、夢舞台に来ていいぞ。タクシーでも何でもいい、来れるか?」
私の状況を察して、来ていいと言ってくれた。
その晩は、空き部屋に泊めてもらった。
怖くて、恥ずかしくて、申し訳なくて、あらゆる感情で顔を上げられなかった。
スタッフは、「大変だったな、お腹空いてないか?」と優しく声を掛けてくれた。
翌日、朝一で夢舞台が近隣のアパート契約をしてくれた。
スタッフのこんな真剣な表情は見たことも無く、動揺を言い訳に「ありがとう」も言えなかった。
すぐに役所へ相談し、生活保護の申請。
法テラスへ相談し、離婚申請。
戸惑う私を気遣って、夢舞台は一緒に動いてくれた。
1年半後、ようやく介護の仕事を始められるようになった。生活保護も解除が出来た。
無事に離婚も成立した。今は旧姓で過ごしている。
この1年半の間、下を向いていた私が、毎月夢舞台に顔を出しては3時間近く話を聞いてもらっている。
こういう時間が欲しかったんだなと、夢舞台に帰って来ている。
そう言えば、いつの間にか言えるようになってたな、「ありがとう」って。