ブリッジ エーシア ジャパン
認定NPO法人

ミャンマー支援募金「あきらめない未来」地震と内戦、それぞれの現場で支援を続けたい!

支援総額
82,000
27%
目標金額 300,000
サポーター
11
残り
27
2025年09月30日 23時59分 まで
夏募金キャンペーンでクラウドファンディングをおこないます。テーマはミャンマー支援です。地震と内戦、それぞれの現場で何が起きているのか率直に情報発信します。これからも活動をつづけていくためのご支援とご協力を何卒よろしくお願いします。
2025-09-02 20:27
未来を信じて、ともに進もう
内戦の激戦地となって破壊されてしまった現地事務所からメッセージが届きました。私たちがこの地でやってきたことは何だったのか。たくさんのことを伝えていかなければいけないと感じています。

拝啓 ミャンマーを気にかけてくださっている皆さま

いつもご支援いただき誠にありがとうございます。事務局長の新石です。

つい先日、破壊されたマウンドー事務所でガレキ撤去と清掃をつづける現地職員から報告が届きました。報告というより、痛ましいメッセージです。

本日その記事を団体のホームページに上げました。下記がリンクです。

「未来を信じて:ミャンマーラカイン州」

こちらのクラファンの活動報告にも、同様の文章を抜粋して転載します。

これまで聞いたことがなかった現地スタッフの本音が書かれていて、胸を突かれました。写真についてはウェブサイトをご参照ください。

===以下、転載===

■ 内戦による破壊と避難
2024年8月、ミャンマー・ラカイン州マウンドー郡を襲った内戦は、人々の日常を破壊した。BAJの職員も町を追われ、安全な村へ避難を余儀なくされた。戦闘の渦中にあったマウンドー事務所は砲撃と空爆で壊滅。屋根は崩れ落ち、壁は無数の傷を負い、内部の機材や備品は略奪され尽くしていた。長年、地域の若者を育む活動を支えた机やコピー機、PCもすべて失われ、沈黙する廃墟だけが残された。避難先でその報に接した職員たちは、かつて仲間と働いた場所の記憶が蘇るたび、深い喪失感に襲われた。積み上げてきた希望そのものが瓦礫と化した瞬間だった。

■ 守衛の再配置と初期修復
絶望から約8か月後の2025年4月、事務所に二名の守衛を再配置できた。我われがまず取り組んだのは、爆撃で穴だらけになった倉庫の屋根修繕だった。雨季に備え、人が寝泊まりできる空間を確保した。雨をしのげる場所を取り戻したとき、職員たちの心に小さな希望の灯がともる。その後、私も日中の事務所滞在をはじめ、まず侵入者に壊されたフェンスを修繕。敷地内のすべての車両は損傷し、エンジン部品も持ち去られていた。厳しい現実に直面しながらも、「失われたものを嘆くのではなく、残されたものを守り抜こう」という決意が、我われを瓦礫の中から立ち上がらせた。

■ 廃墟での清掃と備品移動
私と守衛たちは、残された機材や工具を保全するため、修繕した倉庫への移動作業を開始した。床にはガラス片が散乱し、天井や壁は崩落寸前という危険な状況下で、職員は細心の注意を払って備品を運び出した。作業場にほとんど何も残されていない現実に胸を痛めながらも、「この場所での活動を必ず再開させる」という強い思いが私たちを前進させた。粘り強い在庫確認を続ける中、5月には敷地から手榴弾や弾薬が発見された。危険物除去後、職員たちは生い茂る草木を刈り払い、荒れ果てた敷地を整えた。「再び若者が集い学ぶ場所に」。その願いを胸に作業を進めるうちに、希望の芽は力強く育ち始めていた。

■ 苦難の中の再生への思い
失われたものは大きいが、マウンドーに戻った我われ職員たちの胸には「ここから立ち上がる」という揺るぎない決意が宿っている。フェンスを直し、草を刈り、備品を守る。その地道な積み重ねが、やがてこの土地と人々の心の再生につながると信じている。再び研修室が若者の熱気で満たされ、作業場で技術を磨く槌音が響く日を思い描きながら、黙々と作業を続ける。戦火に焼かれた事務所は、不屈の努力の中で少しずつ再生の姿を取り戻しつつある。この苦難は仲間との絆をより強固にし、未来への信念を力強いものへと変えた。BAJが掲げる「違いを超えて、ともに知恵を出し合い、ともに生きる道をさぐる」という理念を胸に、私たちは確固たる覚悟で絶望の先にある未来へ向かって歩み続ける。

===以上、転載おわり===

ここからは私の感想です。

「積み上げてきた希望そのものが瓦礫と化した瞬間だった」

冒頭に書かれたこの言葉に釘付けになりました。

というのも、「積み上げてきた希望」とは何だったのか、今こそ真正面から説明しないといけないのではないかと思ったからです。

いいかえれば、私たちがこの地でやってきたことは何だったのか。

われわれが、ラカイン州北部に多く住む「ロヒンギャ」とラカイン人の民族融和をテーマに掲げられるようになったのは、2010年代の後半いわゆる2017年「ロヒンギャ危機」の大量難民発生の直前のころでした。それまでは、表立って「民族融和」や「平和的共存」という言葉は使っていませんでした。

ちなみに「ロヒンギャ」という言葉を、当団体がこんなにもフツウに使うのは、もしかしたらこのクラファンが初めてかもしれません。

説明しないといけないことがたくさんあります。
少しずつ、私たちとラカイン州の物語をお話しできればと思います。

お付き合いいただけますと幸いです。

新石正治

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