
(都市が都市である理由としての)BankART
そもそも「Bank」 の語源は イタリア語の「banca」=「ベンチ、台」 である。人が座り、事物をのせる、日本語でいえば縁側にあたる。ベンチで事物や人は、いかなる事態にも応じるべく待機している。「Bank」の語源としてゲルマン語の「benc」を考えることもできる。原意は同じく「ベンチ、台」であったが、こちらは土手、堤という意味を持つに至った。岸辺の盛り土=堤が何に対峙しているのかはいうまでもない。いずれにせよ、Bank すなわちベンチにリザーブされているのは未来である。
さて、では都市とは何か、なぜ人は都市に集まり、住むのか。そこはかつて堤や城壁に囲まれ、不測の災害や外敵から守られた場所であった。その場所では日々の営み、暮らしが保証され、未来への可能性が担保されていた。この都市と、その未来を支え、その可能性をリザーブしていたもの—それがBankであった。
Bankがないことは未来の可能性、その余地を持たないことを意味する。反対にBankがあれば、そこに都市は生まれる。生活、暮らしを支えるのはBank(=banca、ベンチ)に集う人々であり、そこから生まれる議論であり活動である。未来の計画、作戦はそこで生まれ確保される。ここが都市の起源だ。(であるから、未来の試合展開を決めるのはベンチにリザーブされているスーパーサブであるに決まっているのである)。今回、一人の選手を放出するのではなく、Bank(ベンチ)そのものが放出されることになったことはBankにとっては幸いだった。なぜならBankがあるところに優秀な選手、作家、アーティストは集まるからである。新しい都市が生まれるからである。Bankがないところには ‥‥(大丈夫だろうか?その街)。だから わたしはBankを慕い、BankARTを応援する。
岡﨑乾二郎

