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横浜市の創造都市政策のフラッグシップとして20年間、同市の歴史的建造物や遊休施設を拠点に活動してきたBankARTがかつてない転機を迎えている。3月末で現在の新高島駅地下1階スペースから撤退し、4月以降は独自に活動拠点を見出さなければならないからだ。
BankARTが旧富士銀行、旧第一銀行をアートセンターに転用して活動を立ち上げたのは2004年3月。当時は、チャールズ・ランドリーらの提唱した創造都市の概念が日本に導入されて間もない頃で、具体的なイメージを掴むのに誰もが苦慮していた。二つのアートセンターは、その解を示すものとなり、以降、彼らはNPOならではの斬新な発想と機動力で、創造的なプロジェクトを次々と展開していった。その成果は海外にも波及した。ソウル市は彼らの活動に触発されて、ソウル市創作空間という政策を立ち上げ、複数の工場や倉庫を改修してアーティストの活動拠点を創設した。
BankARTが「都市に棲むこと」を理念に掲げ、この20年間に残してきた足跡はあまりにも大きい。そこには常に創造活動への深い理解と都市へのまなざしがあった。芸術やクリエイティブな活動を支え、それらを都市空間の中に移植、培養することで、地域に新たな活力をもたらしていく。まさしく「創造都市」の根源的な取組であり、横浜ばかりか日本の創造都市の原点、象徴とも言える存在だった。
横浜市の決定で、これまでの延長線上での活動が一旦途絶えてしまうことは、かえすがえすも残念だが、今までも、何度となく拠点を移しながら活動を継続、更新させてきた。2018年にBankART Studio NYKが閉じたときに発表されたプレスリリースのタイトルはBankART is moving、そして、今回のクラウドファンディングのスローガンは、BankART is Movement!。まさしく、BankARTは拠点を移動させながら活動を続ける運動体だ。
これまでの蓄積を未来につなぎつつ、新たな展開が始まることを、心から期待したい。
吉本光宏
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