2004年、横浜市の創造都市構想のリーディング事業として始まったBankART1929は、歴史的建造物や港湾倉庫等を文化芸術活動の拠点として活用し、移転を繰り返しつつも、都市とアートを開く活動を継続してきました。しかし2024年11月に横浜市から発表された、2025年度以降のBankART Stationの場所(新高島駅B1F)の運営者公募にBankART1929は採択されず、来年度から市の補助金が打ち切られることが決定、BankART Station 及びKAIKOは今年度末をもって終了することになりました。 20年にわたる横浜市との関係性を変えざるを得なくなった現在の課題として、3月末までに既に決まっている事業を展開しながら2施設を完全撤収するために荷物の移動先と資金を自前で調達しなければならないこと、同時に来年度以降の活動拠点と経済構造を急ピッチで再構築しなければならない、という差し迫った状況があります。
現在のBankARTはこれまで活動を共にしてくれたアーティストやクリエイター、関係者や観客の皆様方とともにつくってきた運動体です。その蓄積を未来につなぎ、さらに自由に拡がっていくため、芸術活動やまちづくりを大切にしている多くの方々と共に活動継続していくために、初のクラウドファンディングに挑戦します。このピンチをチャンスに変えるべく、ご支援の程よろしくお願い致します。
2025-02-11 18:00
山野眞悟さんから応援メッセージをいただきました!
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応援メッセージ Vol.32
山野眞悟(黄金町エリアマネジメントセンター事務局長)
本文はこちら→
BankARTを応援する
横浜における私の立場はいつも微妙で、そのため、私とBankARTとの関係もずっと微妙だったと思う。
私はBankARTと入れ替わるように黄金町にやってきた。にも関わらず、前代表の池田修とは彼のBゼミ時代からの知り合いで、その後のPHスタジオとは、何度も一緒に仕事をした。彼がBankARTを始めてすぐ、私も横浜との縁ができた。で、それから私たちはいつも二重の関係を持つようになったと思う。個人的付き合いとしては、古くからの友人関係に過ぎないが、横浜という社会的状況に置かれると、とてもそんなことを言っている場合ではなかった。そして今回の状況は、あるいは分かる人には分かるかもしれないが、私にとっても無関係な出来事ではなかった。
BankARTがあったから、結果的に今の黄金町も出来ていったと言える。両方の動きはその始まりから関連し、その関係の中で変化してきたと思う。
これからどうする、はすでに私個人には関与しようのない話かもしれないが、それぞれが分け持っていた課題については、まだ終了しているわけではないと言わざるを得ない。
今はまず、BankARTは支援を必要としている。それによって、彼らが再び、その活動のテーマについて発言し、実践する機会を得ること、黄金町も含め、私たちは複数の考える主体によって相互に影響を与え、変化していく。
そしてBankARTも、まだ活動の途中であり、おそらくこれからより大きな目標に向かって変化していくだろう。
いずれにしても、まずはその目標に対する支援を多くのみなさんにお願いしたい。
どうぞよろしく。
山野眞悟
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