2004年、横浜市の創造都市構想のリーディング事業として始まったBankART1929は、歴史的建造物や港湾倉庫等を文化芸術活動の拠点として活用し、移転を繰り返しつつも、都市とアートを開く活動を継続してきました。しかし2024年11月に横浜市から発表された、2025年度以降のBankART Stationの場所(新高島駅B1F)の運営者公募にBankART1929は採択されず、来年度から市の補助金が打ち切られることが決定、BankART Station 及びKAIKOは今年度末をもって終了することになりました。 20年にわたる横浜市との関係性を変えざるを得なくなった現在の課題として、3月末までに既に決まっている事業を展開しながら2施設を完全撤収するために荷物の移動先と資金を自前で調達しなければならないこと、同時に来年度以降の活動拠点と経済構造を急ピッチで再構築しなければならない、という差し迫った状況があります。
現在のBankARTはこれまで活動を共にしてくれたアーティストやクリエイター、関係者や観客の皆様方とともにつくってきた運動体です。その蓄積を未来につなぎ、さらに自由に拡がっていくため、芸術活動やまちづくりを大切にしている多くの方々と共に活動継続していくために、初のクラウドファンディングに挑戦します。このピンチをチャンスに変えるべく、ご支援の程よろしくお願い致します。
2025-02-17 13:30
小林晴夫さんから応援メッセージをいただきました!
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応援メッセージ Vol.43
小林晴夫(アーティスト・blanClassディレクター)
本文はこちら→
BankARTは、その場所から都市に開き、さまざまなジャンルの表現の中にも、それを受け取る方法にも備わっている、網羅的で俯瞰的な思考力を底力に、まるで元々あったインフラのように振舞って、この街に根を張ってきました。
それは時々のアーキテクチュラルな工夫がそうさせたのかもしれませんが、本当に多くの人たちが自然と集まってきてはすれ違い、また時に交錯し、雑多なソサエティーと独創的な企てが生まれた拠点でもありました。
そうして現実の街を遊んで街を生きる。都市と芸術にとっての夢のような関係を実践してきたBankARTですが、同時に、時々の政治に翻弄されながら幾度となく引越しを繰り返してきた20年でもありました。
それでも同じ街で20年も活動をしてくると、若かった人たちも老朽化して、色々綻びも生じてきて、大きな変わり目が訪れたということなのでしょうか? とうとう要になる財源と拠点を失ってしまいました。
これまでにBankARTが築いてきたものは途方もないことだったはずですが、それも水の泡となるのかと、おそろしくなります。ひとりひとりの個人が、それぞれの文化を持ち寄って集まったところに都市が生まれるのだとしたら、BankARTを捨ててしまう都市ってなんなのでしょうか?
いっそ、都市の都市たる大事なところ(?)だけを積みこんで、横浜から出港してしまったらどうだろう?
現在BankARTは、20年かけて溜まった諸々のものをとりあえず移動すべく、引っ越しのための準備をしているそうです。この引越しはとても意味があって大事な引越しです。でもお金が足りません。みなさん応援をお願いします。
私も微力ながらこれからのBankARTを応援します。
小林晴夫
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