2004年、横浜市の創造都市構想のリーディング事業として始まったBankART1929は、歴史的建造物や港湾倉庫等を文化芸術活動の拠点として活用し、移転を繰り返しつつも、都市とアートを開く活動を継続してきました。しかし2024年11月に横浜市から発表された、2025年度以降のBankART Stationの場所(新高島駅B1F)の運営者公募にBankART1929は採択されず、来年度から市の補助金が打ち切られることが決定、BankART Station 及びKAIKOは今年度末をもって終了することになりました。 20年にわたる横浜市との関係性を変えざるを得なくなった現在の課題として、3月末までに既に決まっている事業を展開しながら2施設を完全撤収するために荷物の移動先と資金を自前で調達しなければならないこと、同時に来年度以降の活動拠点と経済構造を急ピッチで再構築しなければならない、という差し迫った状況があります。
現在のBankARTはこれまで活動を共にしてくれたアーティストやクリエイター、関係者や観客の皆様方とともにつくってきた運動体です。その蓄積を未来につなぎ、さらに自由に拡がっていくため、芸術活動やまちづくりを大切にしている多くの方々と共に活動継続していくために、初のクラウドファンディングに挑戦します。このピンチをチャンスに変えるべく、ご支援の程よろしくお願い致します。
2025-03-02 16:00
和井内京子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.63
和井内京子(デザイナー)
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私の実家は横浜に2つあった。一つは鶴見にあった出窓の洋館付き平屋。一つはBankART Studio NYK。生まれた家と再び歩き始めた場所。途中長く海外生活があったのでこの2つの場は私のライフライン。
そして鶴見の生家は両親が長かった人生を終えて共に終了。
BankART Studio NYKは場所は変われどBankART として存在した。
2023年から秋田県美郷町で北のくらし研究所というものを始めている。何を隠そうこの建物を見つけた時にあのStudio NYKになればいいじゃないの?と軽ーく思いついてしまったから。斜に構えてしか話してくれなさそうな池田氏に早速相談しようとしていたその矢先、最悪な知らせが届く。……ちょっと話が違うじゃないの?池田さん。
そして今もBankART は私のHOMEとして存在している。それは私だけじゃない。関わってきたたくさんの作家,アーティストが心に秘めていることなのだと。
ノマド生活のまま人生を終えるのもありだと思ってたのにカッコいいと思われる不動産を見つけるとワクワクとイメージしてしまう悪い癖がついてしまった。そんなわけで長く住んでいた英国から美郷町に移住してしまった。
そして肝心のHOMEの一大事。マジか。
BankART という形態は<HOME>立ち返ることのできる場所として存在していくこと。シェアする仲間が宝でありBankARTの歴史として存在する作家たちの殿堂として。
そしてより良い未来のために力と知恵の輪を繋いでいくことをし続けるためにどこに存在してもいいBankART と共にこれからも生きていこうとしています。
和井内京子
