
市民自治、これが横浜の都市創造において最重要の柱だった。
2002年秋に、当時横浜市参与でもあった北沢猛さんから、歴史的建造物の活用方法を提案せよという依頼を受けたのが、横浜に関わるきっかけだった。北沢さんとは、東京駅が今のように改修される前のステーションホテルのバーで初めて会った。
北沢さんはぼくを説得するのに、地元横浜には創造性ある市民が多数いる。そうした人々と共に都市デザインをさらに豊かなものにしたい。自分は都市デザインというソフト重視の観点から都市のハード設計を担当してきた。君は各地のアートプロジェクトの、特にその拠点づくりを応援しているというではないか。そのノウハウを横浜にも提供してほしい。だから協力してはどうかというのである。
旧第一銀行を活用するにあたって、市民自治を推進するため、「創造と市民」を柱として、市の直営でもなく、外郭団体による運営でもなく、市民の力を結集できる方法として、文化創造を担うNPOによる運営を提案した。
しかし、NPOが運営すれば市民自治がただちに実現するわけでもない。地元の方々と共に、吉本光宏氏や熊倉純子氏などが委員として加わって、自治の推進を図る応援をしていただいた。行政側も川口本部長と仲原課長などを中心に理想的なスタッフで取り組んでいただいた。こうしてBankARTが誕生し、これを中心に、創造都市は、20を超える拠点開発、関内関外の「創造カイワイ」の展開と黄金町の創造的展開、さらには各区すべてでアートプロジェクト展開を目指す目標に向かって、多様な展開を開始した。これが、2002年から2010年頃の展開だった。
BankARTの働きもあって、創造都市は相当のレベルで実現した。しかし、市民自治の方はどうか。実現した部分もあるが、課題も残した。それは、BankART自体の運営手法にもよるところもあった。市民の意見を幅広く聞き、連携も図ったが、一方で、池田修さんの辣腕によって可能になった面が少なくない。
池田修さんはなくなり、今また場所も移転せざるを得ないという。新たな展開では、ぜひ市民自治の実現に取り組まれることを期待して、応援メッセージとしたい。
加藤種男
