
ヨコハマ創造都市の牽引者BankART1929 次の展開に期待し、応援します。
横浜市の都市デザイン活動は、横浜市の六大事業展開などに連動し、1970年代から運動的に活動を開始した。都心部関内地区や山手地区などで、広場やプロムナードの連なる、歩いて楽しい街、開港以来の歴史伝統の生きづくまちなみなど、「個性ある都市空間づくり」として連続的に成果を挙げ、1980年代後半からは、さらに活動領域を都心周辺区や、みなとみらい21地区へも拡げていった。これらの成果は、のちにグッドデザイン賞金賞、建築学会賞業績賞、土木学会デザイン賞特別賞などを受賞する大きな評価を受けている。
こういった中で、都市デザイン室は、「個性的な各地区の魅力空間づくり」の次の展開を模索、一定程度整備された個性的都市空間の中で芸術文化デザインなどが実験的に展開される「創造実験都市」を次の運動目標に掲げた。そして、1990年の「バルセロナ・ヨコハマ・シティクリエーション90」“BAY90”や「芸術は都市をひらく展」などを開催した。この運動を主導したのは、都市デザインチームの岩崎駿介、国吉直行などスタート期からの活動に少し遅れて参加した北澤猛であった。
残念ながら、このBAY90など「創造実験都市」の試みは、いったん、終息してしまうのであるが、2004年に、横浜市では、新たな「創造都市ヨコハマ」が提唱される。これを主導したのが、横浜市都市デザイン室を離れ、東大教員となっていた北澤猛であった。
ヨコハマ創造都市の担い手誕生
2002年、当時の中田宏市長に、北澤は大学教員の立場から、「創造都市」政策を提言する。そして、最初の実験的事業となったのが、2004年の二つの歴史的建造物「旧第1銀行」と「旧富士銀行」を活用した、「創造都市活動」の民間の担い手募集であり、選ばれたのが池田修さんをリーダーとする「BankART1929」チームであった。
その後のBankART1929の八面六臂な実験的活動と展開ぶりは、多くの方々がご承知のとおり、横浜に新たな息吹を吹き込み刺激を与えた。そして、彼らの活動の中で特質すべき点は、「創造都市活動」として、横浜で芸術文化・デザインの若手活動家のコミュニティを育てるといったことなどのほかに、都市ヨコハマの未来を新しい人々を交えて議論する場を持ち続けたことであった。こういった、「コレカラノ横浜」への議論は出版物としても多く出されている。これらの活動の仕掛けは、池田修(芸術文化の都市展開)と北澤猛(次の都市デザイン開拓)の二人の狙いの融合したものであった。
今後への期待
BankART1929はすでに横浜以外でも活動成果を挙げているが、今後も横浜をベースに、細渕太麻紀代表、秋元康幸副代表のリードで、池田・北澤コンビのような芸術文化振興と都市デザインの融合した、新時代の創造的展開が生まれることを期待しています。
なお、2022年3~4月に都市デザイン50周年を記念する「都市デザイン横浜 展」のBankART KAIKOでの開催については、BankART1929の皆様には、多大な協力とご支援をいただいたことを感謝いたします。
国吉直行
