2004年、横浜市の創造都市構想のリーディング事業として始まったBankART1929は、歴史的建造物や港湾倉庫等を文化芸術活動の拠点として活用し、移転を繰り返しつつも、都市とアートを開く活動を継続してきました。しかし2024年11月に横浜市から発表された、2025年度以降のBankART Stationの場所(新高島駅B1F)の運営者公募にBankART1929は採択されず、来年度から市の補助金が打ち切られることが決定、BankART Station 及びKAIKOは今年度末をもって終了することになりました。 20年にわたる横浜市との関係性を変えざるを得なくなった現在の課題として、3月末までに既に決まっている事業を展開しながら2施設を完全撤収するために荷物の移動先と資金を自前で調達しなければならないこと、同時に来年度以降の活動拠点と経済構造を急ピッチで再構築しなければならない、という差し迫った状況があります。
現在のBankARTはこれまで活動を共にしてくれたアーティストやクリエイター、関係者や観客の皆様方とともにつくってきた運動体です。その蓄積を未来につなぎ、さらに自由に拡がっていくため、芸術活動やまちづくりを大切にしている多くの方々と共に活動継続していくために、初のクラウドファンディングに挑戦します。このピンチをチャンスに変えるべく、ご支援の程よろしくお願い致します。
2025-03-20 17:30
友部正人さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.85
友部正人(シンガーソングライター)
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「本気の人」
池田さんがなくなってBankARTは空っぽになったのか。BankARTの巨大なスペースを埋めていたのは池田さんの存在だったのか。とにかくたくさんのことを残して池田さんはいなくなってしまった。
ぼくが池田さんと会ったのは2004年の夏のことだった。横浜ならではの古い建物で詩や歌のイベントをさせてもらったり、北仲ホワイトへの入居を誘われたりして、ぼくはいつのまにか池田さんと親しくなっていった。
2008年9月に池田さんの発案で、大岡川を船で歌いながら下るという「川下りライブ」をしたことがある。小さなボートに音響機材を積み込み、大岡川の黄金町と日ノ出町の真ん中ぐらいから海まで、川岸に歌を届けながら下っていくというライブだった。たくさんの観客は川岸を歩きながら歌を聞いてくれた。ちょうど満潮時で水位が上がっていたため、橋の下をくぐるときは背をかがめたり橋を押し上げて船を低くしなければならなかった。大岡川最後の橋に差し掛かるとき、橋の上で大きな旗を振る池田さんの姿が見えた。その全面的な応援ぶりにぼくはとても感動した。「池田さん、ありがとう」というぼくの感謝の気持ちはこの時に始まった。彼は「本気」の人なんだとわかったから。
横浜市には彼の「本気」が伝わらなかったのかもしれない。ただの行政のスケジュールの一つとして処理してしまった。それが街の行政の限界なのかもしれない。その限界を知ったところから出発すれば、ぼくたちのこれからの道筋が見えて来るに違いない。
友部正人
