2004年、横浜市の創造都市構想のリーディング事業として始まったBankART1929は、歴史的建造物や港湾倉庫等を文化芸術活動の拠点として活用し、移転を繰り返しつつも、都市とアートを開く活動を継続してきました。しかし2024年11月に横浜市から発表された、2025年度以降のBankART Stationの場所(新高島駅B1F)の運営者公募にBankART1929は採択されず、来年度から市の補助金が打ち切られることが決定、BankART Station 及びKAIKOは今年度末をもって終了することになりました。 20年にわたる横浜市との関係性を変えざるを得なくなった現在の課題として、3月末までに既に決まっている事業を展開しながら2施設を完全撤収するために荷物の移動先と資金を自前で調達しなければならないこと、同時に来年度以降の活動拠点と経済構造を急ピッチで再構築しなければならない、という差し迫った状況があります。
現在のBankARTはこれまで活動を共にしてくれたアーティストやクリエイター、関係者や観客の皆様方とともにつくってきた運動体です。その蓄積を未来につなぎ、さらに自由に拡がっていくため、芸術活動やまちづくりを大切にしている多くの方々と共に活動継続していくために、初のクラウドファンディングに挑戦します。このピンチをチャンスに変えるべく、ご支援の程よろしくお願い致します。
2025-03-29 10:00
菅野幸子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.97
菅野幸子(AIR Lab アーツプランナー/リサーチャー)
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2001年、横浜トリエンナーレが始まり、横浜市は文化芸術活動を核に据えた新たな都市政策を模索していた。丁度その頃、欧米では、創造都市という概念や事例が都市政策者の間で大きな関心が寄せられるようになっており、2002年、横浜市でもこの概念を生み出した都市の文化戦略の専門家であるチャールズ・ランドリー氏を招いて、ンポジウムを開催することになった。共催団体の一員としてこのシンポジウムを担当したことから、横浜市の創造都市政策にも関わるようになった。2004年、横浜市は、多彩な創造的な活動により市の活性化を目指す創造都市政策を打ち出し、その象徴的存在がBankART1929だった。以後、BankART1929は、日本を代表するアートセンターとして、規模においても、運営方法においても、活動内容においても圧倒的、かつ先駆的な存在感を示してきている。先駆的ということは、同時に、予測のつかない課題や困難を引き受けざるを得ない宿命も負っているということだ。しかし、それを乗り越え、未来につなげる活動も生み出していかなければならない。それは、BankART1929の当事者だけではなく、文化芸術活動に携わる全ての人々の支援があってこそ、可能となるのだと思う。これからも、横浜のみならず日本のアートシーンを牽引する役割を心より期待したい。
菅野幸子