2004年、横浜市の創造都市構想のリーディング事業として始まったBankART1929は、歴史的建造物や港湾倉庫等を文化芸術活動の拠点として活用し、移転を繰り返しつつも、都市とアートを開く活動を継続してきました。しかし2024年11月に横浜市から発表された、2025年度以降のBankART Stationの場所(新高島駅B1F)の運営者公募にBankART1929は採択されず、来年度から市の補助金が打ち切られることが決定、BankART Station 及びKAIKOは今年度末をもって終了することになりました。 20年にわたる横浜市との関係性を変えざるを得なくなった現在の課題として、3月末までに既に決まっている事業を展開しながら2施設を完全撤収するために荷物の移動先と資金を自前で調達しなければならないこと、同時に来年度以降の活動拠点と経済構造を急ピッチで再構築しなければならない、という差し迫った状況があります。
現在のBankARTはこれまで活動を共にしてくれたアーティストやクリエイター、関係者や観客の皆様方とともにつくってきた運動体です。その蓄積を未来につなぎ、さらに自由に拡がっていくため、芸術活動やまちづくりを大切にしている多くの方々と共に活動継続していくために、初のクラウドファンディングに挑戦します。このピンチをチャンスに変えるべく、ご支援の程よろしくお願い致します。
2025-03-29 19:00
鈴木理策さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.100
鈴木理策(写真家)
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広島の灰塚アースワークプロジェクトで、池田修さんは遠くを見上げながら、みんなで木を集めて船を作り、それを山の上にのせると言った。
それを聞いた時、大きな目をしたクラウ・スキンスキー演じる主人公がアマゾンにオペラハウスを建てるために船を山越えさせようとする映画『フィッツカラルド』(監督・ヴェルナー・ヘルツォーク、1982年公開)を思い出し、大変そうだなと思いました。
けれども、池田さんたちPHスタジオの計画は、作った船をダムの水に浮かべて山の上まで運ぶというもので、映画の過酷さとは無縁の、なんとも軽妙で見事なものでした。
その後のBankART1929の活動では困難も数えきれなかったと思いますが、いつもあの軽妙さ、しなやかさがあったのではないでしょうか。
それは表現にとって、とても大切なことに思えてなりません。
時代は変わり、人の考えも変化し続けていきますが、見失うべきではないものがBankART1929には宿っていると思います。
鈴木理策
