
ペドリック(Bedryk)を設立して、まもなく3年が経とうとしています。
このたびクラウドファンディングを始めるにあたり、私たちがどのような歩みを経てきたのか、これまでの活動を簡単に振り返ってお伝えしたいと思います。
Bedrykは、ウクライナから避難してきた人々を支えるために生まれた非営利の一般社団法人です。
活動の出発点は、ウクライナ人の先生による小さな日本語教室でした。母語で教わる安心感や理解のしやすさが喜ばれ、徐々に参加者が増え、今も週2回のレッスンを続けています。
しかし、時間が経つにつれ、支援のニーズは変化してきました。
少し前にウクライナ避難民向けの公的なヘルプデスクが終了したこともあり、病院への付き添いや通訳、ビザの相談、就労支援といった、より実生活に直結するサポートの比重が大きくなってきています。
「言葉」を教えるだけでなく、「暮らし」に伴走すること。
それが今、Bedrykに求められている役割だと感じています。
これから数回に分けて、私たちのこれまでの歩みを振り返りながら、ウクライナ避難民の方々とどのように関わってきたのかを、少しずつご紹介していきたいと思います。
登場人物紹介
- ターニャ(Solopchuk Tetiana) Bedrykの代表。ウクライナ出身。大学で日本語を学び、日本在住。戦争後、入管の通訳として働きながら避難民支援を開始。明るく行動的で、共感力と実行力を兼ね備えた人。
- 筆者(サトシ) 日本人。Bedrykの創設メンバーの一人。主に裏方として団体の立ち上げと運営を支える。ターニャのパートナーとして、戦争後の支援活動にも深く関わる。
- オーリャちゃん(Olha) ターニャの大学時代の友人。
- ウクライナのキエフで大学教員をしていたが、戦争を機に母親と共に日本へ避難。後にBedrykの創設メンバーに加わる。日本語が堪能。
2022年2月24日。
ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが世界を駆け巡りました。
私がその速報を見たのは在宅勤務中、ニュースサイト(たしかブルームバーグ)でした。それを妻のターニャに伝えたときの表情は、今でも忘れることができません。衝撃と悲しみ、そして不安が一度に押し寄せてくるような、あの表情。
その日から、私たちの生活も少しずつ変わっていきました。
「何かしなくては」と立ち上がった妻
最初の数日間、ターニャは言葉もなく、何も手につかない状態でした。けれど、すぐに「何か自分にできることはないか」と動き出し、日本の入管で通訳の仕事を始めました。そこから彼女は、多くの避難民の声に耳を傾けるようになっていきます。
ウクライナからの友人、そして「受け入れ」のはじまり
そんな中、ターニャの大学時代の友人オーリャちゃんから連絡がありました。彼女はキエフで大学教員をしていましたが、母親を連れて日本に一時避難できないかと相談してきたのです。
「どうなるかわからないけれど、とにかく来てもらおう」と私たちは決めました。
その受け入れには、本当に多くの方々の力がありました。都の職員さん、JKK、入管の方々、親族の知人の議員さん…。誰もが前例のない状況の中、柔軟かつ迅速に対応してくださいました。
おかげさまで、彼女たちは日本到着から約2週間で台東区の都営アパートに入居することができました(当時はコロナによる隔離期間が必要でした)。

オーリャちゃんとアーラさんの隔離期間が終わった記念写真

台東区の都営アパートに入居の準備中の写真。生活に必要な物資もご提供いただいた。本当に感謝!
ブチャからの沈黙、そして再会の涙
その春、ターニャの両親が暮らしていた町「ブチャ」は、戦禍の真っただ中にありました。3月末から1ヶ月以上、連絡が一切取れなくなってしまったのです。
不安な日々が続きましたが、4月末〜5月初め頃、ようやくスターリンク経由で再び声を聞くことができました。
無事を知ったとき、私たちは言葉にならないほど喜び、泣きました。
避難民の「困りごと」と向き合って
春から夏にかけて、ターニャは入管通訳の仕事に加え、ウクライナヘルプデスクの活動も手伝っていました。そこでは、避難民の方々の多様な背景、そして日本で直面している問題が見えてきました(ここでは詳細は控えますが、本当にさまざまな困難がありました)。
そうした声を聞く中で、「避難民自身の言語で学べる日本語教室が必要だ」という想いが強くなっていきました。
当時、日本語教室はあっても講師は日本人で、ウクライナ語もロシア語も話せず、伝わりづらいという声が多かったのです。
そして「Bedryk」の原点へ
ちょうどその頃、JKK主催でウクライナ避難民向けのイベントが、オーリャちゃんが住む都営アパートで開催されました。参加してみると、多くの避難民が日本に暮らしていること、そして「ウクライナ語やロシア語で教えてくれる日本語教室」を求めていることを肌で感じました。
そこで、ターニャとオーリャちゃんと話し合い、
「とにかく、一度やってみよう」
そう決めました。
今思えば、それがBedrykのはじまりでした