
生徒が増えて、にぎやかだった日々
日本語教室を始めてしばらく経ったころ、少しずつ生徒さんが増えてきました。
この時期は、今思い返してもとても楽しかった時期だったと思います。
ターニャとオーリャちゃんが2人で手探りしながらカリキュラムを作り、毎回のレッスンを丁寧に準備していました。
あるときは、生徒さんたちと一緒に高尾山へ登ったことも。
山頂でお弁当を広げて笑い合ったあの時間は、Bedryk初期のかけがえのない思い出です。

楽しかった高尾山登山。が、今見ると皆笑顔が引きつっている。楽しかったが、ハードだったとターニャは当時を振り返る笑
けれど、楽しいだけではなかった。
― 財政の壁 ―
この頃、日本語教室は完全なボランティアで運営されていました。
ターニャは入管とウクライナヘルプデスクで働きながら、夜遅くまで授業準備・宿題の添削をしていました。
オーリャちゃんもウクライナの大学でのオンライン授業を並行してこなしながら、教室を支えてくれていました。
でも、ウクライナの大学教員の給料は日本の感覚からするととても少なく、
「せめて少しでも報酬を渡せないか」と、私自身とても心苦しく感じていました。
そこで浮かんだのが、日本財団の助成金
当時、日本財団がウクライナ支援に特化した助成プログラムを展開しており、
対象はNPO法人か、非営利型の一般社団法人でした。
私たちにNPOを立ち上げる余力はなく、検討の末、非営利徹底型の一般社団法人を設立するという選択を取りました。
設立メンバーを集める
法人を立ち上げるには、理事3分の2が非喫煙者かつ親族以外である必要があります。
ターニャと私は夫婦なので、あと3人メンバーを探さなくてはなりませんでした。
思い浮かんだのは、信頼できるこの3人でした:
- 上田さん(ゲンロン代表) 私たちが出会うきっかけとなった「チェルノブイリツアー」の主催者。ロシア演劇とウクライナ情勢に精通されています。
-
桂くん(起業家・シラス代表)
起業家であり、**新しい贈与論(
t/)**の発起人。社会的な支援とテクノロジーを結ぶ活動をされています。
- 河野先生(同僚) 医学生時代から東日本大震災の被災地支援に携わっていた、行動力と誠実さを持つ人物です。
3人とも快く参加を引き受けてくださり、本当にありがたかったです。
名付けと書類との格闘
法人名を考える中で、私はウクライナの国花「ひまわり」にちなんだ名前を推したのですが、あっさり却下されました(笑)
最終的には、ターニャと一緒に「Bedryk(ベドリック)」という名前に決まりました。これはウクライナ語でてんとう虫の意味です。

公式サイトより。通称ベドリックちゃん誕生秘話。彼(彼女?)はなんとてんとう虫だったのだ。
もともと書類仕事は得意ではない私たちですが、定款を作り、区役所に通い、少しずつ手続きを進めていきました。
そして、法人としての一歩を踏み出す
いくつかの書類のやりとりを経て、
2022年12月13日、Bedrykは非営利型の一般社団法人として正式に登記されました。
次回予告
次回は、就職支援や生活支援の拡大、そして「日本で自立して暮らしていく」ことの難しさと向き合った日々について、お話しします。
📌 Bedrykについて
一般社団法人Bedryk(ベドリック)は、ウクライナ避難民のための語学支援と生活サポートを行う非営利団体です。
公式サイトはこちら:
👉 https://bedryk221209.studio.site
次回もぜひ読んでいただけたら嬉しいです。