
日本財団の助成金を得るため、私たちは急いで申請書類を作成しました。活動実績には自信があったため、通ると思っていましたが、結果は不採択。かなり落ち込みました。
しかし、その理由を日本財団の担当者に伺うと「この助成金は2024年3月までに消化しなければならない。あなた方のような長期的活動には向かない」とのことでした。その方から「次のラウンドで再挑戦しては」と勧められ、私たちはもう一度トライすることを決めました。
ついに助成決定!
そして迎えた2回目の申請。
2024年5月、ようやくBedrykは日本財団の助成金の採択を受けることができました。その瞬間の喜びは、今でもはっきりと覚えています。特に、立ち上げ当初から日本語授業を担当してくれていたターニャとオーリャちゃんに、ようやくお給料を支払えることになったのが何よりうれしかったです。
この日をもって、Bedrykはようやく「法人として走り出す」ことができたのです。
私たちの私生活にも変化が訪れていた
同時期、私たち家族にも大きな変化がありました。
ターニャの妊娠です。
もちろん、たいへんうれしい出来事ではありましたが、それまで彼女は日本語授業、ウクライナヘルプデスク、入管の通訳など複数の活動を並行して行っており、スケジュールはとてもハードでした。
体調を考慮して、彼女はウクライナヘルプデスクの仕事を辞め、在宅で可能な入管通訳の仕事やプライベートレッスン、Bedrykの日本語授業だけに絞ることになりました。
それでも、出産直前まで台東区の教室に通い続けたターニャ。
オフラインでの対面授業が好きだった彼女は、教室で生徒さんと直接交流する時間を何よりも大切にしていました。私も仕事が休みのときは、カーシェアで毎週彼女を教室まで送り届けていました。

冬の日の授業での一枚。ターニャはすでに大きい。
出産と、家族の広がり
ウクライナから義母を呼ぶことは現実的ではなかったため、ターニャは私の実家のある九州に里帰り出産をすることになりました。こうして2024年6月13日、私たちの間に長男が誕生しました。

新しい命の誕生は、Bedrykの活動と同じく「続けていく力」を私たちに与えてくれました。
この頃のBedrykは、法人としてようやく動き出したばかり。
次回予告(第4回)
次回は少し視点を変えて、Bedrykを直接的・間接的に支えてくれた人々にフォーカスしたいと思います。
法人設立を支えてくれた理事メンバーをはじめ、寄付や物資、声なき支援を届けてくださった方々──。Bedrykがここまで続けてこられた背景には、常に「誰かの想い」がありました。そんな縁や贈与の記憶を辿っていきます。
→ 第4回タイトル(仮):「支えられてきた私たち──Bedrykの縁と贈与」