
入管で見た、意外な一面
ウクライナ避難民の受け入れが始まった当初、私たちは何度か入管に足を運びました。手続きを円滑に進めるために、オーリャちゃんをはじめ、何人かの避難民とともに対応をしていたのですが、そこで出会った入管の担当者たちの印象は、私の中で持っていた“入管”というイメージを大きく覆すものでした。
対応は驚くほど丁寧で、迅速。そして何より、受け入れが終わったあと、彼ら自身が避難民の住む場所を訪れ、生活面で困っていることがないかをヒアリングしていたのです。
これは、決して目立つ仕事ではありません。でも本当に必要な、現場に寄り添った支援でした。名前は控えますが、当時の担当の方々(お名前は伏せます)は、温かく真摯に動いてくださいました。初期の頃、彼らの存在にどれだけ助けられたかわかりません。
住宅を、安心に変えてくれた人たち
次に思い出すのは、東京都と東京住宅供給公社の方々です。避難民の住宅確保は、どんな支援よりも優先順位の高い課題です。私たちが相談に伺ってからわずか2週間足らずで、公社が管理する空き住宅をウクライナ避難民向けに手配してくださいました。
それだけでなく、東京住宅公社は交流イベントや相談会も何度も企画し、私たちの日本語教室がその中で開催されることもありました。
また、実際に避難民が暮らすアパートの住人の方々、そして管理人さん(お名前は伏せますが)にも深く感謝しています。言葉も文化も違う外国人が急に引っ越してくるというのは、大なり小なり不安もあったと思います。でも、その方々は静かに、そして穏やかに彼らを受け入れてくれました。
ときには「ゴミ出しルール」などの小さな衝突はありましたが、大きなトラブルは一切起こらず、むしろ管理人さんは教室スペースまで格安で貸してくださったのです。
日本財団の支えがなければ
前回のnoteでも触れた通り、日本財団からの助成金は、Bedrykにとってまさに“命綱”でした。言葉の壁もあり、避難当初は就労が難しい方が多いなか、日本財団が現地での生活費を長期にわたってサポートしてくれていたことは、本当に大きな意味を持ちます。
私たちのような団体にも助成枠を開き、丁寧にヒアリングを重ねてくださった財団の担当者の方々(お名前は伏せます)の存在がなければ、ここまで継続して活動することはできませんでした。
ドンキとニトリの力強い協力
民間企業のなかにも、ウクライナ避難民の雇用支援に積極的に取り組んでくれたところがありました。特に、ドン・キホーテとニトリの存在は大きかったです。
この2社は実際に何人もの避難民の方を採用してくださっただけでなく、直接の支援も行ってくれており避難民の方々の新しい生活の第一歩を後押ししてくれました。
次回
次回は、Bedrykをプライベートで支えてくださった方々についてご紹介したいと思います