
トルコ南東部の都市ガズィアンテプには、悲しみと絶望が混ざり合っているだけでなく、人間の温かさと連帯感が入り混じっていました。
アイハム・タハ (33 歳) は、CARE の食料安全保障と生計に関するテクニカル アドバイザーであり、トルコとシリア北部でいくつかのプロジェクトに取り組んでいます。彼と彼の妻はシリア人で、シリアでの紛争が始まって以来ずっと、人道支援に携わっています。地震後の彼の経験は、これまでに経験したことのないものでした。
アイハムは、災害が起きてからの数日間を、次のように語っています。
**地震発生**
地震は午前 4 時 17 分に発生しました。私はすぐに妻の手をとり、5歳の息子を抱えて急いで家を飛び出しました。すべてが揺れ、人々は悲鳴を上げています。外は寒くて暗い。私たちは皆、何が起こったのか理解するのが難しい状況でした。
緊急発生時の訓練は何度も行っており、すぐにCAREの同僚に連絡する必要がありましたが、電話がないことに気付きました。電話は家の中です。幸いなことに、通りの外にいる近所の人が電話を使わせてくれました。
**余震**
私たちは家に戻ることができませんでした。建物全体に小さなひび割れでき、建物はいつ崩壊してもおかしくない状況でした。このような状況で、内部に戻ることは安全ではありません。私たちは、友人を通じて、息子の学校に臨時避難所が開設されたと聞きました。でも、余震もあって、学校が安全なのか不安でした。
ほぼ毎時間、新しい余震がありました。もう、パニックです。
妻と私は息子を落ち着かせ、「すべてはうまくいく。大丈夫」と伝えようとしました。私たちは自分たちにとって最も安全な選択肢は何かを話し合い、最終的に他の多くの人がそうしているように、自家用車の中に留まることにしました。凍えるほどの寒さなので、少しでも暖かさを保つために、常にエンジンを動かし続けました。私はほとんど眠ることができませんでした。ゆっくりと、しかし確実に減っていくガソリンインジケーターに、ただただ注目していました。ガソリンが空に近づきましたが、ガソリンスタンドは、自分の車に燃料を補給しようと必死になっている人で混雑しています。順番が来るまで5~6時間並ばなければなりませんでした。

**人々や街の様子**
ガズィアンテプは、悲しみと絶望が混ざり合っているだけでなく、人間の温かさと連帯感が入り混じっていました。
避難後に倒壊した建物の中に財布を置き忘れた人も多かったです。それでも、地元のレストランはスープや果物を配って、助けてくれました。人々はお互いに助け合っていました。店主が子どもたちに、食べ物とチョコレートを提供しているのも目にしました。車のガソリンタンクを満タンにしたら、家族のために食べ物を買いに出かけましたが、このような危機的状況において、人々が互いに助け合うために集まっている様子を見て本当に驚きました。

**精神的な疲労**
依然として非常に厳しい状況が続いています。いつまで、どう続くかはわかりません。あと何回余震が来て、どれだけの建物が倒壊するか。現時点では、何人の人が影響を受けたか、命を落としたり、家族や所有物すべてを失ったりしたかはわかりません。
疲労とストレスを感じました。そして、私は喫煙を始めました。人生で一度も喫煙したことがなかった、この私が…。でも、私は、自分自身は本当に幸運だったと思っています。身近な人を失いはしませんでした。
家族がガズィアンテプに滞在できないことはわかっていたので、車で 3 泊した後、ガズィアンテプから東に約 200 キロ離れたマルディンに向けて出発しました。この地域は地震による破壊を免れた地域です。道路がひどく損傷しているので、私はゆっくりと運転しました。本当に怖かったです。交通量が多く、多くの人が街から避難しようとしていました。そして、マルディンに到着すると、宿泊に適したホテルがいくつか見つかりました。私はすぐに CARE のマネージャーに電話し、残りの CARE スタッフをここに移動させることにしました。ホテルで、震災後初めて眠りにつくことができました。ようやく安全を感じ、また仕事を始められる気がしました。
**仕事に戻る**
さらなる決定が下されるまで、ホテルのロビーに仮設オフィスを設置しました。私たちは、ノートパソコンを手に、今、最も必要としている被災者に必要な支援を提供するための方法の検討を始めました。テント、マットレス、毛布などを、避難所へ配送する手配をまずは優先しました。さらに、この災害の影響を特に受けている女性と女性に対して、食品やベビー用品、衛生キットなどの提供を始めました。またシリアでは、緊急シェルター、食料、きれいな飲料水も非常に必要とされていることが分かりました。
********
地震から1か月経過した被災地では今日も、CAREそしてパートナー団体のスタッフが、被災者の今の危機的な状況を改善するために最善を尽くしています。皆さまのご支援をどうぞよろしくお願い致します。