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©IYD
「まるで地獄の門が開いたようだった」と、シリア北西部アレッポの地震被災者であるファティマは言いいます。
「最初は雷かと思いましたが、すぐに(地震だと)わかりました」
68歳のファティマは、75歳の夫と9歳の孫娘ソハ(仮名)と共に、アレッポ州の村で暮らしています。2月6日の最初の地震の明け方、凍えるような寒さと降りしきる大雨にもかかわらず、ファティマと家族は避難所もなく、屋外で3晩を過ごしました。甚大な被害を受けた家に戻ることを今も恐れています。
「村のものはすべて破壊されました。家から何か持って来ようとする時、私は少しだけ中に入り、すぐに走って出てきます。今も足元で断続的に大地が揺れ続けていて、いつすべてが崩壊するかわからないんです」
ファティマは、数年前から孫娘のソハを育てている。母親は数年前に他界し、父親はチュルキエに住んでいます。
「震災後、ソハは家に入らなくなりました。今はここが唯一の安心できる場所です。昼も夜もそこで過ごしています。最初の地震が起きてからテントが届くまでずっと泣いていたのに、今は穏やかで笑顔です」とファティマは言います。
テントは、家の入り口に近い木の下に張られています。
「家は住めないので、ここに住んでいます。このテントがなかったら、どうなっていたか、どこに行っていたかわかりません。本当に感謝しています。私たちは、紛争、移住、そして今回の地震と、すべてを見てきました」と、彼女は付け加えます。
2011年にシリアで紛争が勃発してから12年、ファティマの家族はレバノン、トルコ、シリアの各地に散らばるようになりました。
この地震がもたらした絶望感について、ファティマは次のように言います。
「この地震から生きて帰ってこられたことは奇跡です。そのことに感謝しなければなりません」
シリア北西部におけるCAREの現地パートナーのネットワークを通じて、イギリスの外務・英連邦・開発局から提供された1000以上のテントと3000枚の毛布が、地震による影響を受けた家族に届けられています。1人でも多くの被災者に、少しでも安心できる日常を取り戻してもらうため、どうか私たちの活動を応援してください。