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©Grayscale Media
◇◆◇CAREトルコ職員 Saraからのメッセージ◇◆◇
地震が始まった朝、砲撃から身を隠すために安全な場所を求めて街に飛び出したシリア紛争の記憶が、すべて蘇ってきました。
レンガとコンクリートでできた家の中で眠るのが怖くなりました。
地震による惨状は、私がシリアで目の当たりにした、自宅を含む建物の崩壊シーンとまったく変わりません。
地震が起きたとき、私は4日間アンタキヤで両親を探しましたが、雨の中、ある公園で親戚の死体の隣に座っている両親を発見しました。その時、私は死を味わいました。
オフィスや同僚のことを考え、みんな無事なのだろうか、また仕事ができるのだろうかと思いました。私たちの助けやサポートを必要としている人たちのことを考えました。過去にシリアで家を失ったときのように、自分もずっとホームレスのままでいるのだろうかとも考えました。傷だらけになり、悲しみを処理できないでいます。私は、最愛の親族、友人、その家族を71人失いました。
私は、瓦礫の下にいる人々が、胸を押しつぶす瓦礫を持ち上げるために通行人に助けを求めているのを見ました。多くの人が助かりませんでした。
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©CARE Turkiye
CAREトルコは、2月6日に発生した最初の地震から数日後に、最も被害が大きかった地域であるトルコのハタイやシャンルウルファ、そしてシリア北西部にて地震対応を開始しました。私たちは、女性、女子、子どもたちを優先しながら、最も差し迫ったニーズに対応するため、現場とオフィスのスタッフからなるいくつかのボランティアチームをすぐに立ち上げました。
CAREトルコでは、私の人生に大きな足跡を残した人物の一人であるアナスを含む2人の同僚を失いました。アナスと私はともにイドリブ出身で、大切な友人であり同僚でした。彼はシリア北部の人道的ボランティアチームを支援するために、多くの時間と収入を捧げていました。アナスは奥さんと一緒に亡くなりました。
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(上画像: 2015年の紛争で破壊された、イドリブにあるSaraの実家。この家は被害を受けたが、現在では、国内避難民の家族を受け入れている ©Sara Al-Matar)
私は3日間逮捕され、精神的な拷問を受けた後、2015年にシリアを離れました。トルコ国境まで33キロ、8時間かけて歩きました。生き残ること、そして家族とともに尊厳ある生活を送る機会を探すことが、私の優先事項でした。自身が人道主義者であることは、私個人の負担を軽減するのに役立ちます。なぜなら、一日の終わりには、私も仕事の一環として助けている人々の一人であると感じるからです。私たちの痛みや苦しみは一つです。
シリアの被災者は、シェルター、保護、食糧確保、教育を必要としています。トルコやその他の地域の難民も、生きていくために人道的支援を必要としています。人道的な活動は、被害を受けた人々、特に女性、女子、子ども、障がい者を含む最も弱い立場の人々の生活に真の変化をもたらしてくれます。