子どもたちから日々届く過酷なSOS
子どもたちから日々届く過酷なSOS
これを読んでいただいているあなたには
安心して「ただいま」と帰れる家がありますか?
「おかえり」と笑顔で返してくれる人がいますか?
何かあれば相談に乗ってくれる人や悩みを聞いてくれる人はいますか?
お腹を減らした時に、すぐに食べる事ができますか?
困難を抱えた子どもたちには、その「人」と「居場所」がありません。

「今日、泊まれる所ないですか?」
「何も食べてなくてコンビニのトイレの水を飲んでます」
「いい子でいるのが疲れました」
「家に居れば両親は喧嘩をしていて、もう帰りたくないです」
「小さい頃から親に暴力を振るわれていて、もう関わりたくないです」
家を捨て、いつ危険な目に遭うかもしれないようなギリギリな状態の子ども達とたくさん出会ってきました。
ケース01 A君

小さい頃、親から暴力を振るわれていた。
頭にはまだ受けた時の傷が消えずに残っている。
耐える一択だった幼い頃から自由に動ける年齢へと成長し、家に居場所がない僕は、家出をして友達の家を転々とするようになり、それが無理な時は野宿をすることもあった。
コンクリートの駐車場で車輪止めを枕にして眠るのにも慣れた。
通行人が冷ややかな目で見てくるのにも慣れた。
だけど空腹だけは慣れなかった。
お腹が空きすぎて、コンビニに入った。
目の前のおにぎりを食べたい衝動をグッと来られて、そのままトイレに駆け込み、蛇口の水をがぶ飲みしたことも一度や二度ではなかった。空腹を水でごまかす日々。
頼れる人なんて想像もつかなかった。
生まれてこなければよかったと何度も思った。
ひどい罵声しか浴びてこなかったせいで明るい未来なんて到底描けなかった。
自分は幸せになれない運命なんだと感じた。
ある日、NPO法人陽和の存在を友達から聞いた。
友達の友達がNPO法人の支援を受けて自立をしたと聞き、勇気を出して連絡をした。

夜、遅い時間だったが、理事長の渋谷さんが駆けつけてくれて何日ぶりかのごはんを食べさせてもらった。
自分の苦しみや悩みを何時間も聞いてくれた。
その日のうちに、提携している会社に連絡をしてくれて、すぐに入れる寮付きの仕事まで紹介をしてくれた。
何ヶ月ぶりかに何かに心配することなく、布団の上で眠る事ができた。
自分の過去を恨んだ事もあったが、今ではそのような経験ができたことを誇りに思えるようになり、僕の将来の目標は困っている人を助けられる大人になる事。
ケース02 B君
幼少期から施設で育ち、親の援助を受ける事はなかった。
反抗ばかりしていて、施設も転々と変わった。
授業参観やクリスマスのイベントが来るたびに、すごく嫌な気持ちで過ごしていて、イベントなんてなければいいなと小学生の時から強く思っていた。
生きているのが辛くて、自暴自棄になり施設を飛び出してしまった事もあった。
ある日、年齢と共に施設を出なければいけない為、施設の職員が僕の将来の事を心配してNPO法人陽和の渋谷さんを紹介してくれた。
NPO法人とか全く知らずに、信用はしていなかったけど、何回か会いに来てくれた。

最初は、「こんな大人もいるんだ」というような印象だったが、何回かお会いするうちに、「この人なら自分の気持ちを分かってくれる」と思うようになった。
徐々に自分の心もほぐれた時に、過去に迷惑ばかりをかけた児童相談所の職員さんや施設の職員さんの顔が浮かんできた。
「僕も将来、子どもと関わる仕事をしたい」と、思うようになった。
そこから高卒認定試験の合格を目指して深夜まで猛勉強の日々。
渋谷さんに大学に行きたいと伝えた。
最初は「大学は無理じゃないか」と、否定されると思ったが「福祉の道を目指すならこの大学が良いよ」と大学を紹介してくれた。
ただ、僕には大学に行く為のお金もなく親にも頼れなかったから、「本当に行けるのか?」という不安があった。
施設を退去した後、渋谷さんがアパートを用意してくれた。
大学受験に必要な参考書やパソコンまで買ってくれた。
1人暮らしをしてアルバイトをしながらの大学受験は何度も心が折れそうになり、逃げだしたくなったけど、渋谷さんや渋谷さんの周りの支援者の方がたくさん励ましてくれて、裏切ってはいけないという気持ちになった。

そして僕は無事に大学生になれた。
きっと僕は、NPO法人陽和と出会っていなければ、大学生にはなれなかっただろうし、居場所もなく夜の街を歩くような日々になっていたかもしれない。
様々な問題を抱える子どもたちを取り巻く状況
A君もB君も親からの援助が難しく、本音で話せる相手や、悩みや悲しみに寄り添ってくれる人がいない状況でした。
そして、過去の虐待経験から誰かに「助けて」と、人を頼ることが苦手で、社会や人と繋がりづらい状況の中、生きていました。
経済的困窮、発達障がい、虐待経験、愛着障がい等、何らかの困難を抱えていると、社会参加する事が難しく、孤立状態に陥りやすいです。
困難な状況を乗り越えていく為には、誰かが寄り添い、伴走する事が必要です。
「人」と「居場所」が子ども達の人生を変えます。




子ども達の声
「今まで本音で話せる人がいなかった」
「大人は敵だと思っていました」
「色々支援してもらい、自分が幸せになっていいのか今でも不思議な気持ちです」
このような事がよく子どもたちの声として上がってきます。
※子どもたちから実際にいただいたLINEのスクリーンショット



※自立をして社会に旅立っていった子どもからの手紙


帰る場所を失い、未来が描けないが故に犯罪集団の格好の餌食になろうとしている子どもたちがいます。
本当なら輝く未来を生き、社会を背負えるはずの逸材です。
公的機関では救えない困難な状況にある子どもたちを1人でも多く助けるため、
あなたの支援が必要です。
月々500円〜、継続的に若者を一緒に支えていただけませんか?
支援が継続的に積み重なることで、
子どもたちに
「きみは一人じゃないよ。」
というみなさんからのメッセージを、
具体的な形で子どもに届け続けることができます。
A君とB君の人生を変えた出会いのように。
あなたの「ほんの少し」の想いが、
ある子の「生きる希望」に変わります。
子どもたちの未来への投資に、
どうか、あなたの力を貸してください。
具体的な寄付金の活用例
すべてのご支援が子どもの笑顔と未来につながります。





代表者メッセージ
NPO法人陽和(ひより)
理事長:渋谷幸靖 プロフィール




メッセージ
「過去を価値に変える」
虐待を受けた子どもや発達障がいを抱えた子ども、不登校・引きこもり・非行など、ラベル分けをすることなく「どの子も大切に」を団体のテーマとして団体を設立しました。
制度の狭間や、大人の都合により、支援を受ける事ができなく、困窮状態や孤立をしてしまい、暗闇の中で苦しんでいる子ども達を沢山見てきました。
陽の光が届かない子ども達に、太陽のようなぽかぽかとした光を届けたい。
そして社会と調和してほしい。
それが、NPO法人陽和の願いです。
生きている意味すら感じることなく「どうせ自分なんて」と、夢や希望を見失い、明るい未来を描く事ができない子どもたちに、生きる力を取り戻し、将来に不安を抱えるのではなく、わくわくするような未来を描いてほしい。
苦しかった過去や寂しかった過去、辛かった過去が価値に変わり、いつか誰かの為に何かができる若者達を社会に送り出す為には、皆様のお力添えが必要です。
是非、未来の日本を担う子ども達を支えて頂ける仲間になってください。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
2019年:人間力大賞 名古屋市長賞受賞
2019年:TOYP大賞(青年版国民栄誉賞)会頭特別賞受賞
2021年:名古屋市で活動をする民間団体として「ボラみみ」より賞を受賞
2023年:愛知少年院より感謝状
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
日本テレビ「News zero」TBS「news23」 NHK「ニュースウォッチ9」フジテレビ「めざまし8」全国放送にてコメンテーター出演、朝日新聞「ひと」掲載。メディア出演多数。
1981年生まれ。
母子家庭で育ち、引きこもり、非行の道を歩み、25歳の時に自分にできる親孝行とは何かを考える。
自分の様な子ども達を減らす事や、自分の母親のように子育てで苦しむ母親を一人でも減らしていきたいという想いで、NPO法人を作ると一冊のノートに書く。
非行少年の支援をしているNPO法人で5年間活動を行い、2021年、「どの子も大切に」をテーマに、虐待を受けた子どもや、発達障がい、引きこもり、不登校、非行など、困難を抱えた子ども達に寄り添う団体として、NPO法人陽和を設立。
豊田市に自立援助ホーム「陽和ハウス」「陽和ハウスセカンド」、名古屋市に一時保護所「すてっぷハウス」の3施設を運営。
教育委員会や法務省、学校やPTA、少年院や児童養護施設など、幅広い場所で講演活動を行っている。
社会的養護の子ども達の支援をする研究会や、10年後の若者支援を考える研究会に所属をして、未来の子ども達の社会を創っている。
現在は、障がい者手帳がない方の就労支援を行う愛知県就労促進協会の理事。
特別養護老人ホームや障がいを持った方の就労支援を行う社会福祉法人 tomoni + の監事。
にんしんSOSなど、女性支援を行っているNPO法人いるからの理事。
多岐にわたる若者支援の役員も務める。