
今回図らずもこの場所で展示をさせていただくことになったにあたり、この土地で一定期間を過ごし小高の自然や人との関わりの中を通じて自分の中に自然と生じたものを描きたいと考え、「おれたちの伝承館」内での公開制作という形を取らせていただきました。
小高の気候や山と海に囲まれた地形はどことなく私の生まれ故郷である北海道日高地方を思わせるものがあり、浜から吹く風や朝夕の空の色、生き物たちの気配を感じながら絵のイメージを膨らませていきました。
当初からこの土地で制作する上で福島と自分の接点をどのようにつくるかということに関し、何を使いどう描くかという「素材」をきっかけにこの原発事故という問題に対する何らかの問いかけとなるものができないかと考えていました。
自分の体をこの土地に馴染むように海辺や山々を歩いてまわり、気になったものに関して地元の方に直接尋ねるところから今回の土を使って絵を描くという試みが始まりました。
海を背に見渡す山々の一角が断崖のようにそこだけ乾いて剥き出しになっている光景を不思議に思い尋ねてみたところ、小高の山々は震災以降道路補正や地盤形成、除染、そして現在は浪江、双葉にまたがる震災復興記念公園建設のため他所に運び出され続けていることを知りました。

太平洋と向かい合う小高の山々は神山(かみやま)とよびならわされ、その漢字のとおり神様の山として崇められていた神聖な場所であること、復興が押し進められる一方で里山の生態系、原風景がその精神性をもないがしろにするような形で削り取られていることに、原発事故がもたらした問題の根深さを感じさせられました。
神様の山として崇められていた時代、人々が自然や人間以外の動物に対してむけていたであろう眼差しと、この国が推し進め無視してきた自然への眼差しのあり方との狭間において、過去から現在に至るまで膨大な時間を経て、あまたの生き物の生と死のサイクルの中で積層してできた土に対する態度あり方のようなものを、使用する絵の具を実際に採集した土から作ることから考えることを行いました。
具体的には黄土色に見える箇所は採掘所跡地にて採取した土を使い、焦茶の部分には「おれたちの伝承館」敷地内の土を掘って絵の具を作りました。

実際には自然物から自作した絵の具は扱いが難しく描いている側から剥落を起こすなど見た目の重厚さとは裏腹に非常に脆く繊細であったため、既製の絵の具を部分的に混ぜるなど補強、修復を行わなわざるを得ませんでしたが、期せずして自然を思いのままにコントロールすることの困難さ、誤りを制作という行為の中で感じさせられる制作となりました。
普段何気なく使っているものがどのようにして成り立っているかを考え、実際に自ら行動し考えることがひいては今私たちが暮らしている社会のシステムがいかにして成り立っているのかということに対して根本から向き合うきっかけになるのではないかと考えて制作を行う機会になりました。
田野勝晴さんHP
https://tanokatsuharu.com/

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