殿岡に相談したら、まさかの“即答で却下”
嬉しさの勢いそのままに、私はすぐに痴漢抑止バッジ考案者の母である殿岡へ相談しました。「これ、すごくいいアイデアだと思うんだけど!」と興奮気味に伝えたのですが、返ってきたのは意外すぎる答えでした。殿岡は迷うことなく即答で却下したのです。
あまりに即断だったため、本当に「えっ?」と声が出そうになりました。理由を尋ねると、殿岡は静かに、しかし断固とした口調でこう言いました。「そのバッジを痴漢が手に入れたらどうする?被害者が勇気を出して『この人痴漢です』と訴えた時、『冤罪だ、俺はこんな活動もしている。痴漢なんてするはずがない』と嘘をつかれたら?」
この言葉を聞いた瞬間、私は背筋がすっと冷えていくような感覚を覚えました。痴漢抑止バッジは「善意で守る人の象徴」としてイメージされがちですが、それを悪意ある人物が身につけていたらどうなるのか。殿岡は、その一番深刻なケースを即座に思い描いていたのです。
当事者としての経験が生む「見落とされがちなリスク」
殿岡がこうした懸念を即座に言語化できた理由は、娘を守るために一年以上、痴漢と向き合い続けた経験があるからです。当事者としての痛みを知り、日常の中でどれほど加害者が狡猾にふるまうかを見てきたからこそ、気づける視点でした。
私自身もその説明を聞きながら「これは軽々しく採用できる案ではない」と深く納得しました。善意で作ったつもりのバッジが、むしろ被害者を追い詰める“盾”として使われてしまう可能性を否定できない。それは、活動の根幹を揺るがす問題です。
さらに、この懸念を裏付けるような事件も実際に起きています。「痴漢冤罪被害者の会」の会長が盗撮容疑で逮捕されたニュースには驚かされました。
また2017年に痴漢を疑われた男性が、線路を走って逃げるニュースが多発した時。電車内で取り押さえられた痴漢がホームに降りた瞬間「俺じゃない!」と叫んで線路に逃走し、残されたコートから逮捕され、その後に痴漢で前科四犯だったと判明した事件もあります。
それでも届き続ける「作ってほしい」という声
こうした理由から、痴漢抑止活動センターでは「痴漢から守りますバッジ」は製作しない方針をとっています。しかしそれにもかかわらず、多くの方から「ぜひ作ってほしい」との声が寄せられます。対面で言われることも何度もありました。
そのたびに私たちは理由を丁寧に説明しています。すると、皆さん同じように「はっ」とした表情を浮かべるんです。この反応を見るたび、「ああ、この人は痴漢なんてしないし、考えたこともない人なんだな」と私は安心します。悪用の発想が浮かばないということは、心から善意で提案してくださっている証拠だからです。
世の中はまっとうな人の方が圧倒的に多く、その優しさが社会を支えていることを何度も実感しました。それは、活動を続ける私にとって大きな救いであり、希望でもあります。
善意の第三者と被害者を守るための「作らない」という決断
こうした善意に触れるたびに、「子どもや若い人を守りたい」という思いが社会に確かに存在していることを感じます。同時に、その思いを裏切らせてはならないという責任も感じています。
「痴漢から守ります」バッジを作らないという判断は、誰かの提案を拒むためではありません。被害者と善意の第三者両方を守るために必要な決断なのです。
私たちが本当に伝えたいのは「守りたいという気持ちは、どうか心の中にバッジとして身につけてください」ということ。そして、いざという時にはその気持ちを行動に変えてほしいという願いです。目の前で困っている人を見かけたら声をかける、駅員に伝えるなど、小さな行動の積み重ねが社会の空気を確実に変えていきます。
活動方針を共有する理由と、これから
今日この話をブログで共有しているのは、活動方針についてきちんと理解し納得していただきたいからです。痴漢抑止は社会全体で取り組むべき問題であり、一人の努力だけでは解決しません。
活動を始めて十年。ゆっくりではありますが確実に社会の空気は変わってきています。これからも皆さんと共に、この変化を積み重ね、痴漢(性暴力)のない未来へ歩んでいきたいと思います。

