
連日、性犯罪のニュースがネット上に流れてきます。
小学生の女の子のスカートの中をスマートフォンで撮ろうとした男。
警察官の男が靴に隠した小型カメラで、女性の下着を撮影した事件。
駅の階段で、スカートの中を狙ってスマホを差し入れた別の男の事件。
そして、それぞれの加害者が語っていたのは、こんな言葉です。
「撮影しようとしただけで、触っていない」
「たまたま下着が映ってしまい、興味を持った」
「短パンを履いていたため撮れなかった、未遂に終わった」
私はこのような供述に、猛烈な気持ち悪さと怒り、そして社会の根深い問題を感じています。
なぜなら、これらはすべて、「自分は悪くない」と言いたいだけの言葉だからです。
犯罪行為が“成功”しなかったからセーフ。
うまく撮れなかったから問題ない。
触れてないから大したことじゃない。
でも、被害者の視点から見ればどうでしょうか。
不意に背後から近づかれ、スカートの中を覗こうとされる。
スマホやカメラを差し込まれる。
知らない男の視線が、自分の体を“獲物”のように追いかけていた。
その瞬間、どれだけの恐怖と羞恥、屈辱を味わったか。
たとえ「未遂」だったとしても、心の中では確実に何かが壊される。
それが性暴力の本質です。
“成功したかどうか”ではなく、“加害の意図”と“被害者の感じた恐怖”こそが、本質なのです。
ところが今の社会は、それを見ようとしない。
加害者の供述は、しばしばそのまま報道に引用され、「そこまで悪くなかった」「未遂だから仕方ない」といった空気が加害者や加害者予備軍に形成されてしまう。
まるで、「言い訳がうまい者勝ち」みたいな空気すら漂っています。
そして、その空気の中で被害者は黙らされていきます。
「自意識過剰だったんじゃない?」
「実際に触られたわけじゃないでしょ?」
「スカート履いてるのが悪いんじゃない?」
……違います。
悪いのは、狙ったほうです。加害の意図を持って近づいた人間です。
スカートの中を撮ろうとする行為は、「性的な対象」として相手を“モノ化”する行為です。
子どもであろうと、大人であろうと関係ない。
その人の同意も尊厳も一切無視して、自分の欲望のために他者の身体を狙う。
それが、まぎれもなく性暴力です。
私たち痴漢抑止活動センターは、これまでにたくさんの声を聞いてきました。
「未遂だったけど、怖かった」
「見られている気がして逃げられなかった」
「触られていないのに、どうしても気持ち悪くて泣いてしまった」
そうした声は、“被害じゃない”と切り捨てられるようなものじゃありません。
むしろその「小さな被害感」が、「声を上げてはいけない空気」によって深刻な苦しみに変わっていくのです。
私たちはここではっきり言います。
「未遂」でも、それは性加害です。
「撮れてないからセーフ」ではない。
「触れてないから問題ない」ではない。
「たまたま映った」なんて、通用しない。
被害に遭った人の感情と、加害者の言い訳と、どちらを社会が信じるか。
私たちは、被害者の側に立つ社会でありたい。
そしてもうひとつ。
特に声を大にして言いたいのは、子どもが狙われている現実を、大人たちが直視しなければならないということ。
今回報道された事件の中には、小学生の女の子が狙われたケースもあります。
「子どもを性的に見ること」そのものが、深刻な人権侵害です。
「子どもだから分からない」ではすまされません。
「スカートを履いていたから」ではすまされません。
大人が、社会全体が、子どもを守る責任があります。
性暴力は、個人の問題ではありません。
社会の構造と文化の問題です。
だから私は、この言葉を何度でも繰り返します。
被害をなかったことにしない。
言い訳で逃げられる社会にしない。
加害の意図を「失敗だったから軽い」で済ませない。
そういう社会を、終わらせたい。
それが私たちの活動の目的です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。この声が、少しでも届きますように。
そして、当センターの活動に共感する方は、ぜひサポーターとして活動に参加してください。一緒に性暴力のない社会をめざしましょう。