
ここで問題にしたいのは、この記事ひとつではありません。
私がXのポストで「女子高生至上主義」と書いたのは、社会全体に漂っている空気、つまり「女子高生こそが最も価値ある存在」と刷り込まれてしまう風潮を指しています

Xに投稿して見えた反応
この違和感をXに投稿したところ、8,450件を超える「いいね」が集まりました。その一方で、「BBAの嫉妬」「妬んでいるだけ」といったリプライも少なくありませんでした。
こうした反応は典型的です。問題提起を「感情」や「年齢」にすり替え、真剣に議論しないまま封じ込めてしまう。
でも、本当にそうでしょうか。
多くの大人の女性、特に保護者世代やその上の世代の女性たちは、自分が若い頃に痴漢やセクハラに苦しめられてきた経験を持っています。だからこそ、次の世代の若い子たちが同じ目に遭ってほしくないという思いから、違和感を言語化しているのです。
「守りたい」という気持ちが根っこにあるのに、それを「僻み」と片付けるのは、あまりにも的外れだと感じます。
なぜ「女子高生みたい」が問題なのか
私自身も、女子高校生のころに痴漢被害に遭った経験があります。自転車で帰宅していたとき、追い越してきた男に胸を掴まれたことがありました。同じような被害にあった友人も大勢いて、「女子高校生だから狙われる」という空気を肌で感じていました。
だからこそ、大人の女性を「女子高生みたい」と誉め言葉にする社会に、強い違和感を抱くのです。
ラウンドガールやグラビアアイドルのように、大人の女性としての魅力や自己表現が評価されるべき場で、わざわざ未成年のイメージを持ち込む。
それは「女子高生が最も価値ある存在」という刷り込みを強め、未成年を性的対象にする文化を温存してしまいます。
この構図こそが、私が「気持ち悪い」と感じる理由です。
「本人が喜ぶならいい」では片付けられない
リプライの中には「本人が嫌がっていないならいいのでは」という意見もありました。もちろん、本人の受け止め方は大切です。
ですが、それだけでは社会的な影響を説明できません。
「女子高生みたい」が誉め言葉として繰り返されれば、若年層を性的に価値づける文化が強化されます。
その結果、子どもや若い世代が無意識に性的な視線にさらされやすくなる。
本人の感じ方とは切り離して、社会全体に与える影響を考える必要があります。
個人に責任を押し付けない
「女子高生ブランドを女性自身が利用している」という指摘もありました。制服をモチーフにしたファッションや自己表現は確かに存在します。
しかし、それは社会に強い需要があるからこそ成立しているものです。女性個人に責任を押し付けても問題の本質は変わりません。
実際、痴漢抑止活動センターの活動を最も応援してくれるのは、保護者世代や年配の女性たちです。彼女たちは、自分が若いころに被害を受けた経験を持っているからこそ、「子どもを守りたい」「同じ思いをさせたくない」という気持ちから支援してくれるのです。
そうした声を無視して「僻み」で片付けるのは、あまりにも現実を見ていないと思います。
うんざり、という感情
私が今回の記事を読んで最初に抱いた感情は「怒り」でも「悲しみ」でもなく、「うんざり」でした。
ラウンドガールやグラビアアイドルは、大人の女性としてのセクシーさや華やかさをアピールする職業です。
それをわざわざ「女子高生」と重ねて持ち上げることに、心底うんざりしたのです。
立ち止まって考えるために
「女子高生みたい」という言葉が誉め言葉として受け止められることに、違和感を持つ人は少なくありません。
それを「ババアの僻み」や「嫉妬」と矮小化してしまえば、問題は見えなくなります。
私が伝えたいのは、この記事ひとつではなく、社会全体に広がる「女子高生至上主義」という空気です。メディアが率先してその価値観を無自覚に拡散している現実です。
大人の女性をきちんと大人として評価できる社会。
そして、未成年の子どもたちが性的な視線にさらされない社会。
その実現のために、まずは“当たり前”とされてしまっている言葉に立ち止まって考えてほしいのです。