
警察官の妻が事件化できなかった理由
被害者は神奈川県警に勤める女性職員です。
彼女は痴漢に遭って恐怖で体が固まり、自分で対処できなかったのでしょう。
それは当然のことで、被害者に責任はありません。
しかし私は疑問を持ちました。
彼女は被害届を出さなかったのでしょうか。
あるいは彼女が被害届を出そうとした時に、警察がそれを受理しなかったのでしょうか。
事情は推測するしかありませんが、彼女は警察に頼ることができませんでした。結局、警視庁勤めである夫が公休みを取り、妻の通勤に同行。痴漢加害者を現行犯で捕まえ、所轄の警察に引き渡しようやく逮捕にいたりました。
私はこのニュースを読んだ時に、いろいろな意味でモヤモヤした気持ちを覚えました。
「身内だから解決できた」という不公平感
違和感の一つは、今回の逮捕は夫が警察官だったから実現できたのではないだろうか? という点です。
もし彼女が一般市民だったなら、被害届は受け付けてもらえず、痴漢の現場に居合わせた人に加害者を取り押さえてもらえなかったかもしれません。
「たまたま夫が警察官だった」「夫が通勤に同行してくれたからから解決できた」という構図が浮かび上がります。
夫が妻を守るのは自然なことですが、身内に警官がいない一般市民だったら、どうなっていたのでしょう。
そう考えると、私はこの記事を読んでなんとも言えない気持ちになったのです。
制度が機能していないと実感した体験
私は、自分自身の経験からもこの問題を強く感じています。
以前ニュースにもなったように、痴漢抑止活動センターに使用済みの男性用性的玩具が送りつけられたときのことです。
私は被害届を出したいと、警察に強く訴えました。しかし警察は私の訴えを受理しませんでした。
警察は「もっと何度も同じことが起きなければ事件として扱えない」と説明しました。
私は一度の被害でも大きな苦痛なのに、なぜ繰り返されないと事件にならないのかと理不尽さを感じました。
このとき、私は市民を守る制度が機能していない現実を痛感しました。
私は今回のニュースを読み、この体験を思い出しました。
被害者が被害を訴えても制度が動かない。
そのため被害者は「自分でなんとかしなければ」と追い込まれてしまう。
私は、同じことが痴漢被害者にも起きている気がするのです。
一般市民はどうやって身を守れるのか?
もし今回の被害者に警察官の夫がいなかったら、彼女はどうなっていたのでしょうか。
「警察官の夫がいてよかったね」「妻を守る夫はカッコいい」という意見がネット上にたくさんあがっていました。その意見に反対を唱えるつもりはありません。
しかしその見方だけでは、本質的な問題は解決されないと思うのです。
私は考えます。
もし同じ状況が一般市民に起きたら、誰が守ってくれるのでしょうか。
多くの人は同じようにモヤモヤを感じたはずです。
「痴漢くらいで警察に相談しても無駄」
「結局、自分でなんとかしなければならない」
――そうした空気が、被害者を沈黙させています。
痴漢は社会全体で解決すべき課題
私は、この夫婦を責めたいわけではありません。
夫が行動した結果、加害者が逮捕されたこと自体は前進です。
しかし私たちが見つめるべきは「制度の穴」です
痴漢に遭っても、被害を訴えづらい状況。
勇気を出して痴漢被害を訴えても警察が受理しない現状。
そして、被害者が「自分でなんとかするしかない」と追い込まれている社会。
私は、これらをすべて「ダメじゃん」と言わざるを得ません。
痴漢は個人の問題ではなく、社会全体で解決すべき課題です。
警察の対応、制度の仕組み、周囲の意識。
私は一つひとつを変えていく必要があると考えています。
私はこのニュースを読み、強い違和感を抱きました。
読者の皆さんはどんな気持ちになったでしょうか。
私が抱いたモヤモヤに共感する人もいるでしょう。
違う視点からの気づきを持った人もいるでしょう。
私は信じています。
その一つひとつの声が、社会を動かす力になります。
痴漢は「社会全体で解決すべき問題」です。
私は、その認識を一人でも多くの人に持ってほしいと願っています。