痴漢抑止活動センター
一般社団法人

痴漢対策 | 娘・息子・昔の自分を社会から守る。 月1000円からの支援のお願い

●女の子が(10歳以上)で、ショッピングモールや電車通学は危険です。 ●男の子も(10歳以下)は、1人でトイレに行かせてはダメです。 →女の子は2人に1人の性被害。 →男の子は10人に1人の性被害。 →どちらも、被害にあうのは小学校入学前から だから、私たちは「1人にしない社会」をつくろうとしています。 あなたの寄付が、その第一歩になります。 女性専用車両が100年前からあったというのをご存じですか? 電車内痴漢は、100年以上も解決されない社会課題です。 そんな中、「痴漢抑止活動センター」は、「痴漢抑止バッジ」の普及をしています。この活動の目的は、「現在、電車内で痴漢被害にあっている子どもたちを守るとともに、社会全体の性犯罪・性暴力を根絶すること」です。 【バッジ効果94.3%】 痴漢犯罪を未然に防ぐ対策として、痴漢抑止バッジの無料配布は、皆さんの温かいご支援によって実現しています。私たちの活動には、あなたのご支援が必要不可欠です。共に力を合わせ、安全で平等な社会の実現に向けて一歩踏み出しましょう。
2025-09-30 11:05
痴漢冤罪をめぐる議論の強い違和感
静岡県藤枝市で、20代女性が路上で胸を触られた。犯人の男は逃走したが、女性はすぐに「胸を触られました、ちかんです」と警察に通報し、携帯電話で男が走り去る姿も撮影していた。その映像をもとに、警察は約4時間後に男を発見、逮捕した。取り調べに対し、30歳の無職の男は「間違いありません」と容疑を認めている。 ここまで証拠が揃っていて本人も認めているのに、X(旧Twitter)には「どうせ冤罪やろ」というコメントが寄せられた。私はこの書き込みを見て、本当に言葉を失った。

「冤罪はこんなにある」の声を検証してみた

痴漢のニュースには、必ずといっていいほど「冤罪だ」という反応がついて回る。「痴漢冤罪はすごく多い」「この事件を知らないのか?」。そうしたコメントを拾い上げて、私は一度リストを作ったことがある。コメントは果てしなく多く、延々と流れてくる。けれど実際に挙げられた事件は14件に過ぎなかった。同じ事件を違う人が何度もとりあげて言っているだけだった。

ネット上の声の大きさと実際の件数の少なさ。そのギャップに直面して、私は虚しさを感じた。大量のコメントに振り回されて「冤罪は山ほどある」と錯覚してしまう人が出るのも無理はないけれど、現実は違う。

それよりも、痴漢冤罪被害者の会の会長が盗撮で捕まった事件など、もっと知られるべき事実はある。にもかかわらず、そうした話はほとんど拡散されず、「冤罪だ」という声ばかりが肥大化していく。この偏りが恐ろしい。

こうした傾向は、XやSNSに限った話ではない。

当センターには、新聞をはじめとしたメディアからの取材も多い。中には「最近、痴漢冤罪が増えていますが、どう思われますか」といった取材申込もある。そのたびに「私は、痴漢冤罪に関する詳しいデータを持っていません。いつに比べてどのくらい冤罪が増えているのか、教えてください」と答えてきた。

記者の誰一人、私の問いに応えられた人はいない。「痴漢冤罪が話題になっている」「どうやら増えている “らしい”」という思い込みで取材を申し込んできているのだ。大手新聞社の記者が!

冤罪を主張する風景

電車内などで、被害者が勇気を出して「この人痴漢です」と声をあげる。そんなときに痴漢を指摘された側の典型的な反応は、「俺じゃない!」「冤罪だ!」「示談金目当てか!」という怒鳴り声だ。痴漢抑止バッジを考案した殿岡たか子さんも同じ目にあったことがある。
周囲の人たちは、誰も声をあげた被害者に寄り添わず、が「また冤罪か」と思ってしまう空気をつくり出す。これは被害者を萎縮させる常套句にすぎない。

しかも「冤罪だ」と言い張る人は一度きりじゃない。仮に逮捕されても、職場や家族には「冤罪だ」と訴える。

最初は家族も信じる。「夫は冤罪だが、仕方なく示談金を払っただけ」と。だが4度、5度と同じことが重なると「これはおかしい」と気づく。齋藤章佳さんの著書「男が痴漢になる理由」には、そうやって常習犯だと判明するケースが紹介されている。つまり、「冤罪」という言葉は痴漢常習者にとって都合のいい逃げ道なのだ。

本当にあった冤罪事件

もちろん、実際に冤罪だった事件もある。

2008年の「大阪市営地下鉄御堂筋線痴漢捏ち上げ事件」では、男女が組んで示談金を巻き上げていた。女が「痴漢された!」と騒ぎ、隣にいた男性を加害者だと言い募る。もちろん無実の男性は否定するが、男が「自分が見ていた」と目撃者のフリをする。そうやって痴漢に仕立てられた無実の男性から示談金を巻き上げていたのだ。

この事件の主犯は男で、女は男に言われるまましたがっていた。最終的に女が自責の念から警察に自首をして事件は明るみに出た。

それにもかかわらず、世間では「女が男を嵌めた」という語られ方ばかりで、女だけが悪者にされる。この偏り方に、私は強い違和感を持っている。

「それでもボクはやってない」という映画解釈の誤解

痴漢冤罪の議論になると、必ず周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』が持ち出される。

だが、あの映画が描こうとしたのは「痴漢冤罪」そのものではなく、日本の人質司法の問題だったはずだ。それなのに「痴漢冤罪映画」として独り歩きしてしまった。映画の本来の意図を無視して「痴漢は、冤罪が多い」と言う人たちの材料にされてしまうのは、私は不誠実だと思う。

バランスを欠いた冤罪論

「冤罪」が起きるのは痴漢犯罪だけに限らない。

それなのに多くの人が、痴漢ばかり「冤罪」を言い募って被害者を黙らせたり見て見ぬふりを増やす。その結果、加害者が逃げるための道具として使われてしまっている。そして、声を上げた被害者が二次被害を受ける。これでは痴漢はなくならない。

もちろん、痴漢にかぎらず冤罪はあってはならない。警察や司法は冤罪を起こさないよう細心の注意を払い事件を立証すべきだ。

でもそれ以上に、被害者が安心して声を上げられる社会が必要だと私は思っている。

今回のポストに寄せられた意見のように、記事も読まず加害者が犯罪行為を認めているにもかかわらず「どうせ冤罪」と言い放つのは乱暴すぎる。そのような態度は、被害者の口を塞ぐ最低の行為だと私は考える。

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