
教室で起きている“現実”
しかし、今の日本では、少女たちの尊厳が守られているとは言えません。熊本県では、女子中学生に性的なメッセージを送り、関係を誘った男性教諭が「犯罪行為ではない」という理由で停職6か月の処分にとどまりました。少女は今も学校に通えず、教諭は「復職の可能性がある」と報じられています。学校という安心できる場所で起きたことなのに、被害者の人生は置き去りにされ、加害者の再出発だけが制度に守られているのです。
全国では、教え子の盗撮画像をSNSで共有していた“変態教員グループ”の存在も明らかになりました。児童のリコーダーに体液をつけ、盗撮映像を「いいね」と称賛し合う。そんな異常な行為が、教育の現場の中で行われていました。さらに、津田塾大学では職員が女子学生の衣類に体液をかけ、撮影してネットに投稿していました。学びや安心を育むはずの場所で、少女や若い女性の尊厳が、あまりにも軽んじられています。
「犯罪ではない」では済まされない
熊本県教育委員会が発した「犯罪ではないため免職できない」という言葉を、私は絶望とともに受け止めました。少女が傷つき、人生が壊されても、制度上の“犯罪”でなければ処分できない。被害者の心よりも、加害者の立場が優先されている現実があります。この国の教育行政は、何を守り、誰を守るべきなのか。根本から問われるべきです。
フランスの即断と、日本の甘さ
一方で、フランスの対応は対照的でした。日本サッカー協会の技術委員長が航空機内で児童ポルノを閲覧していたとして逮捕された件では、数日で有罪判決が下され、日本サッカー協会も即日契約を解除しました。フランスでは「子どもの性的搾取」は容赦なく社会的に排除されます。行為の悪質さ以前に、「少女の尊厳を侵すこと」が明確に“社会の一線”として定められているのです。
日本とフランスの対応の差は、単に法律の問題ではなく、人権や尊厳に対する認識の差です。日本では「犯罪ではない」と線を引いた瞬間に、少女の痛みが切り捨てられる。けれど本来、守るべきは法律の外側にいる一人ひとりの子どもたちです。制度の甘さが、沈黙と無力感を広げてしまっています。
問われているのは、社会の良心
国際ガールズデーの原点は、女の子であることを理由に教育や安全を奪われない社会をつくること。けれど今の日本では、加害者を守る構造や“身内の甘さ”がその理念を裏切っています。「犯罪ではないから仕方ない」ではなく、「少女の尊厳を守るために何ができるのか」を問う姿勢が求められています。
電車内の痴漢犯罪でも、最も狙われているのは女子中高生を中心とした「女の子」です。日常の中で彼女たちが感じる恐怖や無力感を、社会がどれだけ真剣に受け止めているでしょうか。私たち痴漢抑止活動センターは、そうした少女たちを守るために、10年以上にわたって活動を続けてきました。痴漢抑止バッジを通じて「声を上げる勇気」と「加害を止める意識」を広げてきたのは、まさに尊厳を守る取り組みの一つです。
少女たちが安心して学び、笑い、夢を語れる社会をつくるために、私たち大人が声を上げ続けるしかありません。国際ガールズデーは、祝う日ではなく、問い直す日。少女たちの尊厳を守れる国であるかどうかを、私たち自身が試されているのです。
当センターの活動に共感してくださった方は、ぜひサポーターとなりご支援ください。一緒に少女たちの人権と尊厳を守れる社会を作りましょう。