福山誠之館同窓会
任意団体

【修繕費】藩校誠之館記念館『玄関部分』並びに『庭園西門』修繕のための寄附のお願い

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支援総額
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目標金額 3,000,000
サポーター
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残り
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2026年01月15日 23時59分 まで
「福山誠之館高等学校記念館」は安政2年(1855年)福山藩の藩校として西町道三口(現 霞町中央公園付近)に開校されたときの玄関部分と昭和8年(1933年)に三吉町(現 合同庁舎敷地)に移築されたときに増築された主屋と組合せたものです。昭和44年(1969年)に現在地へ再度移築され、平成13年(2001年)に国の登録有形文化財に登録されたました。 移築から50年余りが過ぎ、今後の保存を考えて現状調査、建物の修復及び庭園の修繕を行いたい。 みなさまのご協力をお願いします。

福山誠之館高等学校記念館について

1855(安政二年)に老中首座阿部正弘公によって福山藩の藩校として開校された「福山誠之館」
学制改革により名称は幾度となく変わってきましたが、現在は「広島県立福山誠之館高等学校としてその歴史を繋いでいます。

昭和8年(1933年)に当初の学堂の玄関部分と新築の主屋を組合せ「記念館」として開館した。
近世の雄大な唐破風の玄関と近代の入母屋造の主屋が巧みに融合しており、当時の造形の規範となるものです。

記念館の玄関には徳川斉昭揮毫「扁額 誠之館(模写)」が掲示され、中には第5代阿部正精公より下賜された「孔子銅像」が函と共に安置されている。

また、記念館が建つ庭園内には石碑や同窓生の卒業記念樹など多くの記念となるものが現存している。

中でも、記念館の前に建立されている「誠之館記碑」は誠之館の創設にあたった江木鰐水が阿部正弘公の没後、正教の命をうけ、誠之館建学の由来とその精神、施設の概要などを記述して、先君の意志を永く後世に伝えようとした「誠之館記」の全文を石碑に刻んだものである。

これは1926年(大正15年)に昭和天皇が皇太子時代に福山にお越しになった際に、誠之館を台覧された記念として、翌1927年(昭和2年)5月24日に霞町校舎前庭に建立され、それを記念館とともに移築した。

登録有形文化財に登録

 平成13年(2001年)10月12日「福山誠之館高等学校記念館」として 登録有形文化財に登録された。

福山誠之館沿革史

弘道館時代

誠之館の前身ともいうべき「弘道館」は阿部家第4第当主阿部正倫公が1786年(天明6年)、福山城の西濠端に設立。
火急の要に備えて藩士の人材育成を痛感し、藩校の創設となった。
なお、「弘道館」の名前の由来の典拠は「論語」の「人能弘道、非道弘人也」である。

藩校誠之館時代

藩校誠之館の創設者である第7代福山藩藩主阿部正弘公は「国家百年の大計を樹てるには人材の養成が何よりの急務」であると考え、1854年(安政元年)に江戸誠之館が開校、翌1855年(安政2年)に福山誠之館が開校のはこびとなった。

誠之館建学の精神は、当時国事多忙で帰福できなかった正弘公が、福山誠之館開校の際に書き送った「御諭書」に尽きる。

記念館庭園入口に石碑建立
※阿部正弘書「御諭書」は福山誠之館同窓会歴史資料室に展示

霞町校舎時代(1873年~1932年)

1872年(明治5年)10月に藩校時代の幕を閉じる。

翌1873年(明治6年)から旧誠之館施設を使用し、存続したが、しばしば校名変更にみられるように、急転極まりなく、一時は廃校寸前まで立ち入った時代もあった。

1886年(明治19年)に県財政悪化という事情から再々度廃校決定まで追い込まれた危機に当たり、阿部正桓公を中心とする福山教育義会の後援を得て、その存続が確認された。
その義挙を後世に伝えるために1963年(昭和38年)に記念館庭園内に石碑を建立した。

三吉町校舎時代(1932年~1969年)

霞町校舎が老朽化し、再建、拡充が望まれていた折、当時三吉町にあった福山師範学校が1932年(昭和7年)3月に廃校になると、環境と設備に恵まれた同校へ移転。
移転に際して、霞町校舎時代の玄関をそのまま「記念館」として正門脇に移築。

藩校時代から歴史を持つ旧霞校舎後には「誠之館跡」の記念碑が1938年(昭和13年)5月同窓会によって建立された

木之庄校舎時代

三吉町校舎の老朽化、市街地の騒音、交通量の増加、人材育成のための一層の適地の必要性などから木之庄の広大な土地に鉄筋4階建て3棟の他、体育館、格技場、A・B・Cグランド、プール、部室等当時では近代的な施設を建設した。

三吉町にあった「記念館」も木之庄の校地内に移転整備した。

学園全般にして緑化が進められ校舎に続く通称「誠之坂」の桜並木は市内の名所となっている。その管理保全については、学校だけでなく、現在は同窓生も一緒に整備活動を行っている。(誠之坂プロジェクト)

またこの移転を記念して、福山誠之館同窓会会員の寄付により、「誠之講堂」を建て、この中には「誠之館」の扁額が掲げられている。

1991年(平成3年)4月に通信課程が独立し、広島県立東高等学校となり、Cグランドに校舎を建設、移転

1996年(平成8年)2月にセミナーハウスを建設

1998年(平成10年)に全日制普通科が総合学科に改変されるのに伴い、2000年(平成12年)11月に南館を建て替え、鉄筋6階の総合学科棟と同時に「誠之会館」を建てた。
「誠之会館」の中に2001年(平成13年)5月に「歴史資料室」を開設

2007年(平成19年)体育館の建て替え、2016年(平成28年)には本館の建て替えと中庭整備を行い現在に至る。

寄付金の使い道について

*記念館の修繕
*記念館庭園及び周辺整備
*校内の修繕整備など

最後に

建学170年余りの歴史を持つ「福山誠之館」はその歴史を後世に伝えるために、貴重な歴史的資料を維持管理しています。
「記念館」もその一つであり、「藩校誠之館」の歴史を継承するために、みなさまのご協力をお願いいたします。

寄付コース①
金額3,000
*お礼のメッセージ(本クラファン終了後) *会報34号(2027年1月発行予定)にお名前掲載
寄付コース②
金額5,000
*お礼のメッセージ(本クラファン終了後) *会報34号(2027年1月発行予定)にお名前掲載
寄付コース③
金額10,000
*お礼のメッセージ(本クラファン終了後) *会報34号(2027年1月発行予定)にお名前掲載
寄付コース④
金額20,000
*お礼のメッセージ(本クラファン終了後) *会報34号(2027年1月発行予定)にお名前掲載
寄付コース⑤
金額30,000
*お礼のメッセージ(本クラファン終了後) *会報34号(2027年1月発行予定)にお名前掲載
寄付コース⑥
金額50,000
*お礼のメッセージ(本クラファン終了後) *会報34号(2027年1月発行予定)にお名前掲載
寄付コース⑦
金額100,000
*お礼のメッセージ(本クラファン終了後) *会報34号(2027年1月発行予定)にお名前掲載
寄付コース⑧
金額200,000
*お礼のメッセージ(本クラファン終了後) *会報34号(2027年1月発行予定)にお名前掲載
寄付コース⑨
金額300,000
*お礼のメッセージ(本クラファン終了後) *会報34号(2027年1月発行予定)にお名前掲載
寄付コース⑩
金額500,000
*お礼のメッセージ(本クラファン終了後) *会報34号(2027年1月発行予定)にお名前掲載
団体情報
福山誠之館同窓会
任意団体
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任意団体
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金額3,000
*お礼のメッセージ(本クラファン終了後) *会報34号(2027年1月発行予定)にお名前掲載
寄付コース②
金額5,000
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