高木仁三郎市民科学基金

「市民科学者」高木仁三郎の遺志を引き継ぎ希望の未来へ:高木基金2023年度助成事業への支援のお願い

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支援総額
8,474,412
105%
目標金額 8,000,000
ネクストゴール 9,000,000
サポーター
496
終了しました
2023年12月03日 23時59分 まで
高木仁三郎市民科学基金(高木基金)は、在野の立場から核・原子力の問題への専門的批判に力を尽くした核化学者、高木仁三郎(1938-2000)の遺志に基づいて設立されたNPO法人です。  現代の科学技術は、私たちに様々な利便性を与える一方で、市民社会や地球環境をおびやかす「負の側面」をあわせ持っています。高木基金は、そのような社会課題の解明と解決を目指す調査研究活動を、市民から寄せられた寄付を財源として助成する「市民ファンド」です。  困難な問題の現場で調査研究に取り組む助成先のみなさんと、その財源を支えてくださる寄付者のみなさんとがつながり、交流する中で、問題解決への道を見いだすことを目指しています。

科学技術による破局的な事態を警告してきた高木仁三郎

 高木仁三郎は、東京大学で核化学を学び、日本における原子力発電の黎明期に、民間企業で核燃料に関する開発研究にも従事する中で、原子力は人間の力では制御できないこと、発電に伴い発生する膨大な放射性廃棄物、中でも何百万年もの高寿命の放射性物質を含む高レベル放射性廃棄物の管理という困難な問題は避けられないこと、さらに原子力研究は軍事利用と切り離すことが出来ず、民主的な社会とは相容れないことを痛感しました。
 高木仁三郎は、原発事故がもたらす深刻な被害を警告するとともに、生涯をかけて脱原発を訴えました。残念ながら、2011年の東京電力福島第一原発事故で、仁三郎の警告が現実のものとなってしまいました。

参考:高木仁三郎「市民の不安を共有する」https://cnic.jp/takagi/words/k...
岩波書店『科学』1999年3月号(創刊800号記念)より
 このサイトで初めて高木仁三郎を知ったという方は、以下の書籍をおすすめします。
岩波新書『市民科学者として生きる』、岩波現代文庫『高木仁三郎セレクション』、白水社『いま自然をどう見るか』(新装版)

 原子力に限らず、現代の科学技術は様々な利便性とともに、人々の健康や環境に深刻な被害を及ぼすリスクをはらんでいます。しかし、企業は、そのようなリスクよりも経済的な利益を優先し、政府は研究開発を補助金等で支援することはあっても、「負の側面」を検証する研究に予算をつけることには消極的です。
 高木仁三郎は、実際の被害に直面する一人ひとりの市民と不安を共有しながら、科学技術がもたらす「負の側面」について批判的に検証し、解決を目指す取り組みを「市民科学」と位置づけました。昨今は、大学等に所属する研究者も業績評価や研究費の獲得に追われ、それぞれの専門分野において、批判的な議論が乏しく、閉鎖的な状況がますます深刻化しています。

 高木仁三郎は、1973年に都立大学助教授の職を辞した後、市民の側から原子力の危険性をわかりやすく解説し、市民が本当に必要とする情報を提供する非営利組織「原子力資料情報室」の設立・運営に力を尽くすとともに、原子力だけではなく、現在の巨大科学のあり方を根本から批判しました。このような彼の活動に対して、「プルトニウムの危険性を世界の人々に知らしめ、また情報公開を政府に迫って一定の効果を上げるなど、市民の立場にたった科学者として功績があった」として、1997年に「もうひとつのノーベル賞」と呼ばれるライト・ライブリフッド賞が授与されました。その賞金をもとに、1998年に市民科学者を育てる「高木学校」を開校しましたが、その矢先に大腸ガンに犯されていることが発覚しました。
 2000年夏、高木仁三郎は、自らの遺産を第一のファンドとし、さらに賛同する市民への協力を呼びかけることで、次の世代の「市民科学者」を発掘し、資金的な支援をする基金を設立して欲しいという遺言を残しました。その遺言に基づいて発足したのが高木仁三郎市民科学基金です。

設立からの23年間で、総額2億円を越える助成を実施

 高木基金は、高木仁三郎の遺志に基づき、日本国内およびアジアの個人・グループを対象に、公募による調査研究助成を行ってきました。
 高木基金が助成してきた調査研究の分野は、核・原子力に関わるものだけでなく、化学物質による環境汚染や健康被害、公共事業による環境破壊の問題、情報公開や民主的な社会の仕組みづくりなど、さまざまです。
 設立以来の23年間の助成件数は459件、助成総額は2億4308万円となりました。(1件あたりの助成金額は、国内枠は20万円から100万円、アジア枠は最大5千ドル(約70万円)です)
 高木基金のこれまでの助成事例の詳細については、高木基金のウェブサイトでご覧ください。→ http://www.takagifund.org/arch...
 また、具体的な助成研究の事例は、「活動報告」のページに掲載していきます。

2023年度の国内枠助成は、16件、総額800万円の調査研究を助成しています。

 2023年度は、4月に助成の公募を行い、高木基金の選考委員による書類選考、7月31日に開催した公開プレゼンテーション(書類選考通過者を対象とした研究計画の発表会)を経て、高木基金の理事会で、16件の助成先を決定しました。それぞれの助成先は、2023年8月から2024年7月までの1年間を助成の期間として、調査研究に取り組んでいます。助成先の研究内容については、順次、「活動報告」欄で、具体的に紹介していきます。

          高木基金 第22期(2023年度)国内枠助成先一覧
◆古賀 勇人さん
コミュニティが主体となるエネルギー管理の概念化をめぐる研究』
(助成金額30万円
◆山室 真澄さん
『水道水から摂取するネオニコチノイドが総摂取量に与える影響』
(助成金額100万円)
◆日野 行介さん
『策定プロセスの公文書開示による原発避難計画の実態解明』
(助成金額50万円)
◆ランポー二・キアラさん
『福島原発事故と関連があると思われている児童の甲状腺がん事例にめぐる論争』

(助成金額40万円)
◆西舘 崇さん
使用済核燃料の中間貯蔵施を巡るむつ市政20年の展開と住民運動についての研究(2)』

(助成金額45万円)
◆子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会 南波 久さん
『小さな町に起った大きな課題を、道内・道外の議論としていくために』
(助成金額80万円)
◆平 春来里さん
風力発電施設に関する共同事実確認実施に向けた騒音と景観に関する住民実態調査』

(助成金額30万円)
◆比留間運送伊奈平産廃処理工場調査団 佐藤 健朗さん
産業廃棄物処理工場から排出され有害物質による地域住民への健康リスク』
(助成金額100万円)
【一般枠  *1:8件 小計 475万円】


◆原田 浩二さん
『市民によるPFAS 調査のための化学分析基盤の構築』
(助成金額45万円)
◆原発報道・検証室裁判文書・政府事故調文書アーカイブプロジェクト 添田 孝史さん
東電原発事故の政府事故調が未公開にしている文書から重要な情報を開示させる』

(助成金額30万円)
◆みんなのデータサイト 藤田 康元さん
『実践・市民放射能測定室の作り方 ~市民が培った確かな測定技術の継承を目指して~』

(助成金額40万円)
◆外環振動・低周波音調査会 上田 昌文さん
外環道大深度工事で発生した振動・騒音・低周波音による被害の実態把握とそれへの対策に関する調査』
(助成金額50万円)
◆太平洋核被災支援センター 濵田 郁夫さん
太平洋核実験被災の青少年向け学習資料について調査・研究し、青少年参加の学習活動を支援する』
(助成金額30万円)
◆清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会 木本 雅己さん
気候危機時代の豪雨に対応しうる川づくり・流域社会づくりに向けた基礎的研究 ―球磨川豪雨災害調査の「中間報告」説明会を通じて―』
(助成金額50万円)
◆遺伝子組換え食品を考える中部の会 河田 昌東さん
『運送路沿道におけるこぼれ落ち遺伝子組み換えナタネの実態調査』
(助成金額40万円)
【 継続枠 
*2:8件 小計325万円 】
 合 計 800万円

  *1:高木基金にはじめて応募する、あるいは1回助成を受けた実績のある個人・グループ
  *2:高木基金から過去に2回以上の助成を受けた実績のある個人・グループ

高木基金の助成事業は、支援者のみなさまからの会費・寄付で支えられてきました。

 高木基金は、高木仁三郎が残した遺産(約3000万円)と、仁三郎の遺言に基づいて行われた「偲ぶ会」に寄せられたお香典、カンパを元に設立され、それ以降は、高木基金の主旨に賛同する多くの一般市民からの会費や寄付で活動してきました。(→設立の経緯や「偲ぶ会」のことなどはこのページの最後の河合弘之代表理事の言葉をご覧ください)
 2000年12月の基金立ち上げの呼びかけから、2023年3月までの累計収入では、会費・寄付の総額は6億4905万円となりました。これは、高木仁三郎の3000万円の遺産の21倍を越える金額です。仁三郎の遺産が出発点となり、多くの方々が、仁三郎の死後も20年以上にもわたり高木基金への支援を寄せてくださることによって、年間1000万円規模の助成事業を継続して実施することができました。これまでの活動を支えてくださった会員・支援者のみなさんに心からお礼を申し上げます。(ちなみに高木基金に寄せられる寄付は、そのほとんどが個人からのもので、企業からの大口寄付などは一度も受けたことがありません。助成事業に関して、行政からの補助金なども受けたことがありません。)

2022年度のクラウドファンディングでは、新規の支援者が拡大しました。

 高木基金は、2022年にも助成事業のためのクラウドファンディングを行いました。ウェブサイトやSNSを活用したいわゆる(最近の?)クラウドファンディングとしては、初めての試みでした。(→ 2022年度のクラウドファンディング  https://congrant.com/project/t...
 2000年の設立以来、高木基金の活動そのものがクラウドファンディングの連続だったともいえますが、高木基金として、クラウドファンディングを実施する際にねらいとしたことは、
◇ あらためて高木基金の助成事業の趣旨をわかりやすく伝え、新規の支援者を獲得する
◇ 高木基金の助成事業に必要な寄付額を明示することによって、寄付が足りているのか、足りていないのかを「見える化」する
ということでした。

 2022年度のクラウドファンディングでは、1000万円を目標としましたが、結果として、883万円の寄付が寄せられました。支援者は514名で、この内の154名は、これまで高木基金と接点のなかった新規の支援者の方で、その他に89名は、高木基金と接点はあったものの支援の実績のなかった方でした。このように2022年のクラウドファンディングは、高木基金の支援者拡大として大きな成果に結びつきました。

今回のクラウドファンディングでは、2023年度収入予算の内の800万円900万円の寄付を募集します。

 高木基金の2023年度の助成事業に必要な予算は、助成関係費(助成の成果発表会の開催費用や、助成先訪問の旅費等を計上)、人件費とあわせて1550万円です。広報事業費、管理費、その他に原子力市民委員会の事業費なども含めた事業費の総額は3218万円です。これらを賄うための年間収入予算を2700万円とし、これを会費および寄付として獲得することを目指しています。この内、助成事業に関わる一般からの寄付(大口寄付を除く)の目標額を1500万円としています。

 今回のクラウドファンディングでは、この内の800万円の寄付を獲得することを目指しています。 800万円の内訳は、助成金500万円、助成関係費100万円、助成事業に関わる人件費200万円というかたちで充当する考えです。

【12月2日22:00追記】本日、20:30過ぎに、大変ありがたいことに、当初目標金額としいていた800万円に到達しました。心からお礼を申し上げます。クラウドファンディングの期間は、明日、12月3日(日)までであり、ネクストゴールを900万円に設定し、あと1日、さらに頑張りたいと
思います。元々このクラウドファンディングでは、2023年度の助成事業のために、年間で募集する必要のある寄付1,500万円の内の800万円を、この期間に募ることを目指しました。ネクストゴールの900万円の内訳は、助成金600万円、助成関係費100万円、助成事業に関わる人件費200万円とします。

 なお、2023年度内の2月ごろには、年間の収入目標への不足額を確認した上であらためて目標額を設定して、寄付募集を行うことも考えています。

 高木基金の助成を受けて実施される調査研究は、実際の調査に取り組む助成先のみなさんが主体であることはもちろんなのですが、その原資を支援してくださる会員・寄付者のみなさんと、その仲立ちをする高木基金も含めた共同作業なのだと考えています。「市民科学」を支える「市民ファンド」として、常に支援者の拡大、寄付の募集を続けて行くことが高木基金の使命なのです。

役員の想い・高木基金の設立当時を語る

 以下は高木基金の発足以来、代表理事を務めている河合弘之弁護士による高木基金の15周年記念イベントでのあいさつ文です。やや長文ですが、高木仁三郎さんへの想い、基金発足を呼びかけた「高木仁三郎さんを偲ぶ会」の様子から、高木基金の考え方・活動スタイルについても語っていますので、このクラウドファンディング呼びかけの締めくくりとしてご紹介します。
 ぜひお読みいただくとともに、高木基金へのご支援・ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。

                          高木仁三郎市民科学基金 代表理事 河合 弘之
 高木仁三郎さんは、2000年10月8日に死去した。これほど多方面かつ多くの人に惜しまれた死は珍しいと思う。それは彼の実績、思想の質の高さのためであると同時に、彼に更なる行動と成果を期待していた人が多かったためであろう。自らが癌にかかっていることを表明してからの2年間の高木さんの活動は目覚ましいものがあった。各地で講演をし、証言し、そして著作した。私は彼の講演についてまわった。これが最後の講演になるかもしれないと、いつも思いながら。原発の廃絶、とりわけ核燃料サイクル政策の廃絶を熱っぽく語る彼を見て、私は「野に叫ぶ聖者」という言葉を何回も思い浮かべた。また市民科学の必要性を説く彼の姿は、良心的で有能な科学者の思想の到達点を示していた。黒板に図を書きながら、彼は言った。「科学や技術は人間の利便性という光のさす部分を追求する。しかしそれには必ず陰の部分、負の部分が伴うことを忘れてはならない。自動車のもたらすスピードと排気ガスによる空気汚染、地球温暖化のように。その最たるものが原発による電気の利便と、過酷原発事故の恐れ、日常的被曝、そして使用済み燃料の後世への押しつけだ。これら現代科学・技術の陰の問題に市民の立場から取り組み、市民のための解決策を提示する科学が必要だ。それを市民科学と呼ぼう」高木さんが晩年に至って明確に打ち出したこの考え方には、多くの者が感銘を受けた。 
 高木さんは市民科学という思想を主張するだけでなく、実際に市民科学を奨励し、市民科学者を育てる枠組みを作ろうとした。その一つが高木仁三郎市民科学基金である(もうひとつは高木学校であり、これは彼の生前に発足した)。
 彼は弁護士である私に対して、彼の全ての財産を基金の設立に当てるような法律的なスキーム作りを依頼したのだ。私は忠実にそれを実行した。彼の遺産は約3000万円だった。清貧の彼にも多くの支援者がいて、それらの人々からの基金を、彼はしかるべき日のために貯えていたのだ。彼は言った。「私が死んだら月並みな葬式はやめて偲ぶ会をやってほしい。そこでカンパをいっぱい集めて私の遺産とあわせて市民科学基金の基礎となるお金をつくってくれないか」。残される者にとって重い課題だった。
 2000年12月10日、日比谷公会堂での偲ぶ会には約3000人の人々が集った。
 そこで私は懸命に高木基金の必要性をのべ、基金の要請をした。「皆さん、今、財布の中にあるお金を全部置いていって下さい。それは高木さんと志をともにすることです。」と。スピーチが終わった時の拍手の大きさを私は忘れない。これで基金を発足するに足りるお金は集まる、私はそう確信した。その日の夜、遅くまでかかって千円札、壱万円札と硬貨を皆で勘定した。 
 3880万5390円あった。これと高木さんの遺産約3000万円の合計約6900万円で高木仁三郎市民科学基金はスタートした。 
 私たち理事が、この基金の基礎に据えたコンセプトは「市民運動としてのファンド」ということだ。大会社や大金持ちが大金を拠出し、それを審査委員らが良しとする研究に、助成金として出すのが普通のやり方だ。しかし、それでは市民科学助成としての特徴がないし発展性がない。 
 市民運動体としての基金とは、「市民がお金を出し、応募者は市民に向かってプレゼンテーションをし、市民の意見も入れて助成対象者を決め、対象者は研究が終わったら、その成果を市民に向かって発表し、その発表に感銘した市民がまたお金を出す」というような良い資金循環としての基金である。反原発だけではない広い分野から理事と選考委員を得て、この基金は動き出し、動き続けてきた。 
 そして2011年3月11日の東京電力福島第一原発事故。
 高木さんが、「友へ――高木仁三郎からの最後のメッセージ」(これは偲ぶ会で朗読された)で述べた、「原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです」という言葉のとおりになってしまった。福島第一原発の重大事故の発生を知ったとき、高木さんの危惧が現実になってしまったことに、私は強い怒りと悔しさを覚えた。
 そして、もう二度とこんなことを起こしてはいけない、そのためには何でもやろうと決心した。そのように心を動かされた人は多かったと思う。現に、3・11事故後、高木基金に対する寄付は急増した。「原発事故はもうたくさんだ。原発をなくす、安全・安心な社会をつくるための研究や運動に使ってほしい」と。
 その中で、2011年の12月に、都内のとある個人の方から、亡くなられたお母様の遺産からとのことで、5千万円もの高額のご寄付をいただいた。その際、「先進的または実験的で、その成果が次の事業に生きるようなプログラムを新たに開発し、概ね10年にわたって実施してほしい」という主旨のご要望をいただいた。難しいご要望ではあったが、高木基金としても大変光栄なことであり、2012年度の一年間をかけて、どのようなプログラムを立ち上げるべきか、検討を重ねた。もともと、ご寄付の際のご希望には、原発問題へのご指定などはいただかなかったが、福島原発事故を受け、高木基金として新たに立ち上げるべき事業としての結論は、脱原発社会の構築のための情報分析、現実的な政策立案と社会的な検討の「場」を構築すること、すなわち、「原子力市民委員会」の立ち上げである。
 この大きなご寄付のおかげで「原子力市民委員会」が発足し、さらに多くの方から事業指定寄付によるご支援をいただいたことで、活動を継続することができている。原子力市民委員会が発表する意見は、再稼働一辺倒の政府や原子力ムラの一方的な言い分に対する強力かつ有効な反撃となり、また市民の心のよりどころとなっている。
 高木基金の発足以来、20年以上にわたり、多くの方々から大口、小口の寄付をいただいたことに、心から感謝し、ともに喜びたい。また、この様な活動をこれからも粘り強く続けていくために、引き続きのお力添えをぜひともお願い申し上げたい。
 地道に市民科学を探究すること、それを支援し続けること。これが私たちにできる最も重要なことだ。時の権力がどんなに無理押ししても、世論調査をすれば、原発再稼働反対の数は、賛成の3倍もあることがわかる。この声は「原発やめろ!! 自然を守れ!! 地球を守れ!! 後世に美しい環境を!!」という声と100%重なっている。そのような声を維持し、強くしていくことがついには政治を変えるのだ。そのための知識と意思を国民に供給し続ける。これが高木基金の役割だと思う。            
                                                                                        

団体情報
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