私が"MEDIUM for NOTO"を応援する理由
12月のある日の朝、私が珠洲の自宅にいると、珍しくインターホンが鳴りました。出てみると、能登乃國百年之計の奨学生でもある坂口あゆみさんの姿。手には何やら「新聞のような物」を持っています。聞けば、大学の卒業制作で能登半島地震の記録を作ったんだとか。
「新聞のような物」を受け取り、ダイニングテーブルに広げて読むにつけ、涙が出てきました。坂口さん本人は「なんだか私小説のようになっちゃいました」と、はにかみますが、これは紛れもなく能登半島地震によって被災した私たち全員が共通して持っている記憶そのものであり、私たち全員が共通して持っている漠然とした将来への不安そのもの、なのです。
私は「これは新聞の形をしたアート作品だね?」と聞きました。テーブルの向かい側の坂口さんはニコニコしながら、私の質問に答える代わりにこう言いました。
この「新聞」を、できるだけ多くの人に読んで欲しいんです
坂口さんは、この作品は「アート」ではなく「新聞」なんだと強調します。能登に住む人、能登から他の地域に避難している人、能登の応援をして下さっている人、能登をこれから応援する人・・・この「新聞」を多くの人に手を取って欲しいと思っているんだそうです。
22歳の女子がみずから「私小説みたい」と言う作品を、不特定多数の人に読んで貰おうとしていること自体が、かなりハードコアなアートだなぁと思うのですが・・・そこは制作者である坂口さんの意思に賛同し、この「新聞」をできるだけ多くの人に読んで貰うことに、私も協力することに致しました。
この「新聞」を、どう応援してもらうか?
続いて私と坂口さんの間で議論(と言うよりも、あわや口論)になったのは、この新聞の応援価格です。
この作品は「新聞」ですが、販売価格は設定されていませんので、いわゆるフリーペーパーとして無料で配ることも可能です。でもそれでは印刷費用が坂口さんの自己負担になってしまいますし、次回制作のための取材費用(渡航費等)が賄えません。だから、この「新聞」は3000円以上の応援価格をつけるべきだ、というのが、私の考えでした。そんな私の話を聞きながら、坂口さんはしきりに「ムジい、ムジい」と呟いています。
※「ムジい」は能登の方言ではなく、若者ことばで「難しい」という意味だと思われます。
私が知る能登の人たちは、とにかくお金が苦手。お金をもらったり稼いだりすることが社会通念上ダメなことだと認識しているのではないかと思うほど、お金が苦手なんです。能登町白丸というバリバリの能登っ子である坂口さんも、お金が苦手な一派の人でした。
そして坂口さんは、私が言いだした3000円という応援価格を、値切り始めました。
坂口さん「100円!」
私「それじゃ印刷代自腹になっちゃうでしょ」
坂口さん「200円!」
私「それじゃほとんど原価でしょ」
坂口さん「500円!」
私「来年の新聞作るのに、どうやって自分の交通費出すの?」
坂口さん「550円!」
私「刻まないで!50円とかお釣り面倒だし」
坂口さん「せ・・・せ・・・1000円!」
私「もー、しょうがないね。送料込みで良い?」
坂口さん「やっぱり500円・・・」
私「戻らないでー」
という、微笑ましいやり取りを経て、ようやくこの「新聞」の応援価格が決まりました(これが本当に大変でした・・・)
応援くださる皆さんへ、私からのお願い
この「新聞」に1000円の価値があるかどうかは判断が分かれるところだと思います。新聞の原価そのものは200円、送料や包装資材代金を考えても、320円くらいのものです。
もし、1000円の価値がないと思ったら・・・ご家族やお知り合い、あるいは近所の人にも読んで貰ってください。完全に私の詭弁ではありますが、2人で読めば500円、10人で読めば100円です。
もし、1000円以上の価値があると思えば、新たに何口かご寄付をいただき、ご家族やお知り合い、あるいは近所の人に配って欲しいと思います。結局のところ、とにかく沢山の方に読んでいただきたいのです。
最後に、お願い中のお願いです。もし"MEDIUM for NOTO"を読んでいただいて、制作者である坂口さんをもっともっと応援しようという気持ちになって下さった場合は、「坂口さんを応援」のコースを選択してご寄付をお願いします。皆さんの応援が翌年発刊となる予定の"MEDIUM for NOTO" 第2号の実現に繋がりますし、何よりも皆さんの応援とご寄付が坂口さん本人の成長に繋がるものと、私は信じています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
坂口さんについて
能登出身の若者、とりわけ在郷(田舎)の出身の子たちは、東京生まれ東京育ちの私から見ると、とってもオトナです。おそらく、自分の家の近くには同世代の子たちが少なく、幼少期から老若男女問わず多様な人たちと、在郷独特の「濃ゆい」付き合いをすることによって育まれる社会性が、私にそう感じさせるのだと思います。なんと言うか、コミュ力が猛烈に強いのです。
ある日、坂口さんから「地震の記録が残っている場所に行きたい」というリクエストを受け、珠洲市馬緤町の自然休養村センターで避難生活を送っている皆さんを紹介したところ・・・坂口さんは見ず知らずのおっちゃんおばちゃんおねぇさん達と、またたく間に仲良くなっていました。
ちなみに、下の写真で坂口さんと一緒に写っているのは、馬緤町の坂さんです。パッと見ると祖父と孫のようですが・・・さすが、能登の子です。
坂口さんからのメッセージ
地震から3日目の避難所に届いた新聞は私にとって希望でした。
その一方で、新聞には書かれなかった感情や葛藤がたくさんありました。
1年が経とうとしている今も、様々な問題が解決しないまま、声にならないまま、積み重なっているように感じます。
この新聞は、時が経つにつれて吹かれてなくなってしまうような情報を記録・共有するためのわたしが発行する新聞です。
第1号のテーマは HOME。
これまでを振り返りながら様々な人にインタビューを行い、記事を構成しました。
たいへん心苦しいのですが、応援価格を1000円とさせていただきました。
頂いたご寄付は来年出す第2号の活動費や印刷費として使わせていただきます。
全部自分で発送するので、やわやわと発送させていただきます…⭐
坂口 歩
金額1,000円 |
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